WOMANエッセイアワード2026
WOMANエッセイアワード2026
🏆 最優秀賞

ミッション・インコンプリート

めろんぱん。

毎朝5時半。スマートフォンの無機質なアラーム音とともに、私の「完璧な一日」のミッションが始まる。家族の朝食を作り、自分の身支度を整え、彩り豊かなお弁当箱に隙間なくおかずを詰める。「仕事も家庭も、ちゃんとしている女性でいなければならない」。それは誰に言われたわけでもないのに、私が私自身に強固に課した呪いだった。

当時の私は、まるで補助輪を外したばかりの自転車のように、倒れないためにただ必死でペダルを漕ぎ続けていた。自分の感情や疲労感はすべて後回し。ため息をつくことすら、敗北のように感じていたのだ。

あの日も、いつもと変わらない朝のはずだった。ただ一つ違っていたのは、私の睡眠時間が連日の残業で3時間を切っていたことだ。

焦燥感に急かされるように、いつものように卵焼きを巻き、ミニトマトで赤色を足し、完璧なお弁当を完成させた。よし、今日もミッションクリアだ。そう思ってお弁当箱の蓋を閉めようとした瞬間だった。

手元が狂い、お弁当箱が宙を舞った。

スローモーションのように落下していくそれらを、私はただ見ていることしかできなかった。床に叩きつけられる鈍い音とともに、キッチンの冷たいフローリングに、鮮やかな黄色の卵焼きと、丁寧に茹でたブロッコリーが散乱した。

舌打ちをして慌てて片付ける気力も、悔しさに涙を流す感情さえも、今の私にはもう残っていなかった。床に散らばったおかずを見下ろした瞬間、私の心に浮かんだのは、信じられないほど静かな「もう、やめよう」という言葉だった。

私は散らばったおかずを拾い集めることもせず、ただ静かにエプロンの紐を解いた。まだ寝静まっている寝室の扉を一瞥し、そのままの足で玄関を出る。家族にも、会社にも「今日は休みます」とだけ短いメッセージを送り、私は朝の街へと逃亡したのだ。

あてもなく歩き、たどり着いたのは近所の小さな公園だった。コンビニで買った、100円のメロンパンと缶コーヒー。ベンチに座り、それを一口かじった時の、あの暴力的なまでの砂糖の甘さを、私は一生忘れないだろう。

「なんて美味しいんだろう」

手作りの無添加のおかずでも、栄養バランスの取れた食事でもない、ただの市販のメロンパン。それを飲み込んだ時、張り詰めていた糸がプツンと切れた。

私はずっと「何者か」になろうとしていた。良き母、良き妻、優秀な社員。その「完璧な枠」に自分を押し込むために、自分の本当の心の声を無視し続けてきたのだ。床に散らばったお弁当は、私の限界のサインだった。

「全部、ちゃんとできなくていい」。空を見上げると、拍子抜けするほど青く、澄み切っていた。私が今日お弁当を作らなくても、仕事を休んでも、世界は何も変わらずに回っている。その事実は、私を絶望させるどころか、深い安堵で包み込んでくれた。逃げることは、負けることではない。自分を守るための、立派な前進なのだと気づいた瞬間だった。

それから17年。今の私は、あの日ほど「ちゃんとした」生活はしていない。お弁当は週に3回はコンビニや学食に頼るようになったし、疲れた日は「今日は夕飯作れません!」と堂々と宣言してデリバリーを頼む。

不思議なことに、完璧を手放した今のほうが、家族の笑顔も、私自身の笑顔も増えた。床にお弁当をぶちまけたあの朝、私は「完璧な私」を殺し、「等身大の不完全な私」として生まれ変わったのだ。

女性の人生には、自分をすり減らしてでも、誰かのために頑張らなければならないと思い込んでしまう瞬間が無数にある。もし今、かつての私のように、息もできないほど自分を追い詰めている人がいるなら、伝えたい。

時には、握りしめているものを全部床に落としてしまってもいい。逃げ出した先のベンチで食べるパンの味は、きっとあなたに、もう一度息をする方法を教えてくれるはずだから。

審査コメント

テーマである『私の人生が変わった瞬間』に対して、
見事なアンサーを届けてくれました。

今回の応募規定は3000字以内。
その中で『ミッション・インコンプリート』は、
1500字程度という比較的コンパクトな作品です。

しかし、その文字数を感じさせない読み応えがありました。

特に印象的だったのは、
『私の人生が変わった瞬間』の解像度の高さです。

出来事そのものはもちろん、
その時に揺れ動いた感情の機微まで丁寧に描かれており、
読者は自然と主人公の世界へ引き込まれていきます。

それらを堅牢な構成と繊細な表現力で描き切り、
人生が変わる瞬間と、その前後の変化を
鮮やかに伝えてくれました。

テーマ性、文章力、読後感。
そのすべてにおいて、高い完成度を感じる作品でした。

めろんぱん。さん、おめでとうございます!

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