

分身
意識のない母に、私は何度もそう話しかけていた。
「帰ろうよ。また一緒にご飯食べようよ。何でも好きなもの作るから。いろんなとこ一緒に行こうよ。イギリスでも、イタリアでも、スペインでも、ハワイでもエジプトでも、どこだって連れて行くから。だからさ、一緒に帰ろうよ。」
母がもう家には帰れないだろうことを私は知っていた。
数か月前、祖母が亡くなった。最期が近づいたある日の朝、祖母は驚くほどたくさんの便を出した。そしてその日のうちに亡くなった。親戚たちは「人間って死ぬとき、中身を空っぽにするんだね」と話していた。
その朝、母にも同じことが起きた。
だから分かっていた。今日、母は死ぬのだと思った。
それでも私は、帰ろう、と繰り返した。
母が行ってみたいと思っていた場所がどこなのか私は知らなかった。あの夜に並べた国名にも大した意味はなかった。テレビで見たことがあるような国や、なんとなく女の人が好きそうな国を、思いつくまま口にしただけだった。
私は母のことを、たぶんそんなに知らなかった。母は母という生き物だと思っていて、一人の人間として知ろうと思ったことがなかったから。
夜中、巡回に来た看護師さんが「心配ですよね」と声をかけてくれた。泣きながら意識のない母に話しかけていたところを見られたことが急に恥ずかしくなった。
私は話しかけることをやめて、手を握るのもやめて、眠った。
朝、目を覚ますと母は死んでいた。死ぬ瞬間誰にも手を握られずに。
あの時恥ずかしがらずにそのまま母の手を握っていればよかった。くだらないプライドと羞恥心のせい母を一人で逝かせてしまった。
葬式でも通夜でも、私は泣かなかった。家族に自分の心の内側を見せるのが恥ずかしかった。どうしても耐えられなくなると、トイレに隠れて一人で泣いた。
それまでの私は、悲劇のヒロインぶるのが得意だった。
暗くて、友達も少なく、人から自分がどう思われるかばかり考えていた。誰かに気にかけてほしくてくだらない噓をついたこともある。言いたいことは言えないくせに、いつも誰かに察してほしかった。「かわいそうな私」でいることが好きだったのだと思う。
なのに、本当に悲しいとき、私は誰にも悲しい顔を見せられなかった。
あれから11年が経った。
私はずいぶん変わったと思う。昔の私を知る人なら、たぶん驚くくらい明るくなった。人に会い、よく笑い、知らない場所へよく行くようになった。
母の理想の娘になりたかった。母がいなくなった家族の中で、今度は私が母のように明るくて賑やかな人でいたかった。そう思って自分を変えていこうとするうちに、いつの間にか昔とはずいぶん違う自分になっていた。
母は昔から「あなたはお母さんの分身だから」とよく言っていた。
最後にその言葉を聞いたのは、病室だった。亡くなる数か月前のことだった。
「あなたはお母さんの分身だから、お母さんの代わりにいろんなところに行って、私が見られない景色を見て、体験できないことを経験して、食べられないものを食べてね」
あの夜、私は母にいくつもの国の名前を並べたけれど、本当は母がどこへ行きたいのかなんて知らなかった。何を見たかったのかも、何を食べたかったのかも知らない。
だから、片っ端から行った。
イギリスにも、イタリアにも、スペインにも、ハワイにも、エジプトにも行った。あの夜、思いつくままに並べた国には、いつの間にか全部行っていた。それ以外にもいくつもの国に行った。
きれいな景色を見るたびに母にも見せたかったと思う。初めて食べるものを口にするたびに、母もこれを食べたかったかなと思う。11年たった今でも、必ず思う。
母が本当に見たかった景色がどこにあったのか私は今も知らない。だからこれからもいろんな場所に行って、たくさんの景色を見て、知らないものを食べて、そして明るく賑やかに生きるのだ。
私は、お母さんの分身だから。
審査コメント
「分身」に込められた深い思いとは対照的な、淡々とした語り口が印象的でした。どこか自分自身に言い聞かせるような言葉の数々が、言いようのない余韻を残します。