

特別賞
鉄塔の先へ
「ななちゃんのひとくちでかすぎだから!」
トワコは私からハンバーガーを乱暴にひったくると、恨みがましい目でにらんだ。
「つーか、その味やべーよ」
私は舌先に残るろうそくのような食感のチーズをぺっと吐き出したくなる衝動をこらえた。姪っ子のトワコは三月半ばにタイから一時帰国したばかりで、もうすぐ小学四年生だ。
トワコは「言い方ひどくない?」と私に背を向けた。セルフコーデのチェックのミニスカートが、不機嫌そうに翻った。
トワコは妹夫婦の次女で、二年前から義弟の赴任先のバンコクで暮らしている。年に一度の帰国は春休みのみで、一年ぶりに再会したトワコは、以前は乗り気でなかった「冒険」に行きたいと、突然言いだした。
冒険とは、私のランニングコースをお菓子を食べながら歩く、行儀の悪い散歩のことだ。都会のマンションに住む姪っ子たちにとって、田んぼだらけの元農家のだだっ広い家はお気に入りで、休みのたびに隣県からやってきては、ニートの伯母である私に遊ぼうとせがんだ。その遊びの範囲は少しずつ遠くへ伸び、私のランニングコースまで到達したのは二年前のことだ。
「あそこまで歩きたい!」
さきにそう言い出したのは長女だった。去年の春のことで、鉄塔はすぐそこにあるように見えて意外に遠く、雨が降り出して断念した。長女は悔しがったが、トワコは「別にいいじゃん」とそっけなかった。
トワコは小さい時からインドア派だ。散歩に誘うと、「疲れるだけじゃん」と三回に一回は断られた。たまについてくることがあっても、三百メートルも歩くとおんぶをせがんだ。そのトワコが「去年のリベンジがしたい」と言い出した。どうせ途中でお迎えを呼ぶに決まってる。私の顔にそんな本音がでているのに気づいたのかトワコは「楽勝だから」と言った。私は内心吹き出しそうになるのを堪えて言った。
「鉄塔の先にコンビニがあるから、どうせならそこまで行こうよ。おべんとうつくるよ」
「それいいね。でもコンビニも寄るから」
そう言って約束どおり一キロ地点のコンビニに寄り、三キロ地点ではおにぎり二個とウインナーをたいらげた。さすが育ち盛り、と感心していると、トワコは得意げに言った。
「まだ行けるわ」
「うわ、それさすがに食べすぎ」
「はあ!? 歩けるって意味だわ!」
トワコのどつきで昼食は終了した。
三月の空は相変わらずの曇天だった。風は冷たく、川沿いの土手は野火焼きのまっ黒なままで、麗らかな春とはほど遠い景色の中を私たちは黙々と歩き続けた。そこはすでに私もはじめて歩く学区外の道だった。いつかランニングしたいと思いつつ、勇気が出ずにいた。その道を今トワコと並んで歩いていることが不思議だった。
鉄塔の下にたどり着いたとき、二人とも息切れしていた。すでに五キロ。さすがにトワコがだだをこねる時間だと思い、私はわざと疲れたふりをして、迎えを呼ぼうよ、と言った。トワコは返事をしなかった。膝に両手をついてうつむいている。やっぱり疲れてんじゃんと思い、私がスマホを取り出すと突然トワコが顔を上げた。そしてフードをがばっとかぶると
「ななちゃんだけ、車で帰れば!」
と、怒ったように叫び、猛ダッシュで私から遠ざかって行った。
私はあっけにとられ、しばらく動けなかった。私はなぜか笑い出したい気持ちになっていた。
空は曇天。開けた田園。巨大な鉄塔が並び、目の前にはまっすぐなサイクリングロード。その道の先をトワコが全速力で私から離れて行く。その後ろ姿があっという間に小さくなっていくのをみているうちに、私が何度も何度もおんぶしたトワコはいないのだと気づいた。嬉しいことのはずなのに私は涙ぐみそうになり慌てて深呼吸をした。
サイクリングロードの終点で私を待っていたトワコは額の汗をぬぐうと言った。
「生まれてはじめて、こんなに歩いたわ」
「だろうね。七キロってアプリにでてる」
帰りは父の車を呼んだ。コンビニで買ったポテチをつまみながら、トワコはサイダーを満足そうに飲んでいた。窓の外を一歩一歩トワコと歩いた風景があっという間に流れてゆく。もしかするとトワコは今日のことを忘れてしまうかもしれない。でも私はきっと忘れないだろうな。我が家の屋根が見えたときなんとなく確信した。
トワコは私からハンバーガーを乱暴にひったくると、恨みがましい目でにらんだ。
「つーか、その味やべーよ」
私は舌先に残るろうそくのような食感のチーズをぺっと吐き出したくなる衝動をこらえた。姪っ子のトワコは三月半ばにタイから一時帰国したばかりで、もうすぐ小学四年生だ。
トワコは「言い方ひどくない?」と私に背を向けた。セルフコーデのチェックのミニスカートが、不機嫌そうに翻った。
トワコは妹夫婦の次女で、二年前から義弟の赴任先のバンコクで暮らしている。年に一度の帰国は春休みのみで、一年ぶりに再会したトワコは、以前は乗り気でなかった「冒険」に行きたいと、突然言いだした。
冒険とは、私のランニングコースをお菓子を食べながら歩く、行儀の悪い散歩のことだ。都会のマンションに住む姪っ子たちにとって、田んぼだらけの元農家のだだっ広い家はお気に入りで、休みのたびに隣県からやってきては、ニートの伯母である私に遊ぼうとせがんだ。その遊びの範囲は少しずつ遠くへ伸び、私のランニングコースまで到達したのは二年前のことだ。
「あそこまで歩きたい!」
さきにそう言い出したのは長女だった。去年の春のことで、鉄塔はすぐそこにあるように見えて意外に遠く、雨が降り出して断念した。長女は悔しがったが、トワコは「別にいいじゃん」とそっけなかった。
トワコは小さい時からインドア派だ。散歩に誘うと、「疲れるだけじゃん」と三回に一回は断られた。たまについてくることがあっても、三百メートルも歩くとおんぶをせがんだ。そのトワコが「去年のリベンジがしたい」と言い出した。どうせ途中でお迎えを呼ぶに決まってる。私の顔にそんな本音がでているのに気づいたのかトワコは「楽勝だから」と言った。私は内心吹き出しそうになるのを堪えて言った。
「鉄塔の先にコンビニがあるから、どうせならそこまで行こうよ。おべんとうつくるよ」
「それいいね。でもコンビニも寄るから」
そう言って約束どおり一キロ地点のコンビニに寄り、三キロ地点ではおにぎり二個とウインナーをたいらげた。さすが育ち盛り、と感心していると、トワコは得意げに言った。
「まだ行けるわ」
「うわ、それさすがに食べすぎ」
「はあ!? 歩けるって意味だわ!」
トワコのどつきで昼食は終了した。
三月の空は相変わらずの曇天だった。風は冷たく、川沿いの土手は野火焼きのまっ黒なままで、麗らかな春とはほど遠い景色の中を私たちは黙々と歩き続けた。そこはすでに私もはじめて歩く学区外の道だった。いつかランニングしたいと思いつつ、勇気が出ずにいた。その道を今トワコと並んで歩いていることが不思議だった。
鉄塔の下にたどり着いたとき、二人とも息切れしていた。すでに五キロ。さすがにトワコがだだをこねる時間だと思い、私はわざと疲れたふりをして、迎えを呼ぼうよ、と言った。トワコは返事をしなかった。膝に両手をついてうつむいている。やっぱり疲れてんじゃんと思い、私がスマホを取り出すと突然トワコが顔を上げた。そしてフードをがばっとかぶると
「ななちゃんだけ、車で帰れば!」
と、怒ったように叫び、猛ダッシュで私から遠ざかって行った。
私はあっけにとられ、しばらく動けなかった。私はなぜか笑い出したい気持ちになっていた。
空は曇天。開けた田園。巨大な鉄塔が並び、目の前にはまっすぐなサイクリングロード。その道の先をトワコが全速力で私から離れて行く。その後ろ姿があっという間に小さくなっていくのをみているうちに、私が何度も何度もおんぶしたトワコはいないのだと気づいた。嬉しいことのはずなのに私は涙ぐみそうになり慌てて深呼吸をした。
サイクリングロードの終点で私を待っていたトワコは額の汗をぬぐうと言った。
「生まれてはじめて、こんなに歩いたわ」
「だろうね。七キロってアプリにでてる」
帰りは父の車を呼んだ。コンビニで買ったポテチをつまみながら、トワコはサイダーを満足そうに飲んでいた。窓の外を一歩一歩トワコと歩いた風景があっという間に流れてゆく。もしかするとトワコは今日のことを忘れてしまうかもしれない。でも私はきっと忘れないだろうな。我が家の屋根が見えたときなんとなく確信した。
審査コメント
「移ろい」を捉える視点が斬新で、明里さんならではの豊かな感性が光る作品でした。鉄塔へと向かう道中の空気感まで伝わってきて、読んでいて楽しかったです。