

真珠はなにも変わらない
バス旅行とは観光・食事、それに買い物がセットになっているものだ。この回の買い物は、真珠加工場だった。
一通り真珠の説明を聞いて、店内に移動させられる。同乗していたおばさんたちは「あら安いわ」と目を輝かせていた。そんなに簡単に真珠なんて買っちゃうの?と不思議に思っていたけれど、デパートなんかで買うよりは安いらしい。お得感に包まれた店内は活気づいている。
お店の人に「お嬢さんには真っ白よりもピンクパールの方がお似合いですよ」と勧められ、母にも「付けてなさいよ」と促された私は、鏡の前でいい気になっていた。
案外悪くない。上品に見える。
「あんたもそろそろこういうの持っておかないと。冠婚葬祭で役に立つから」
そんな母の言葉に、そうか、と思いながら、イヤでも高いんだし、悪いよ、と思っていた。
そう、私は母が買ってくれるのかと思っていたのだ。
「では、こちらに」
店員さんに座らされ、カード払いの用紙を目の前に置かれた。その時になって初めて気が付いた。
「え?私が買うの?」
「そうよ。自分で付けるものじゃない」
確かに。それに買ってもらう歳でもなかった。仕事もしている。
そうか、そうか。自分で買うんですね。
4回払いで16万円の真珠のネックレスを買った。思いもよらない大出費に、その旅行で何を見たのか、何を食べたのか、記憶が飛んだのだ。
その後、友人の結婚式で付ける機会もあった。ないよりは良かった。着ていたドレスよりも何倍もする真珠は、なんだか恥ずかしかった。自分の所作の汚さに身がすくむ。こんな良い真珠なんて付けちゃって、とモジモジした。
親戚の葬式で付ける機会もあった。母は満足そうにその真珠を見ていた。買ってくれたわけでもないのに買ってあげたみたいな顔をしていた。
友人の結婚式は、それほど多くない。35歳も過ぎればピタッと止まった。
親戚の葬式だって同じだ。みんなピンピンしている。
費用対効果が悪い。
ローンはとっくに終わっているけれど、なんだか釈然としなかった。私の行動と真珠はかけ離れていて、付ける機会なんてほとんどない。
宝の持ち腐れとなった真珠はタンスで眠っている。無駄な買い物だったと思わざるを得なかった。
それでも真珠を購入してから8年が過ぎ、母の葬式で付ける日が来た。
こんなに早くその日が来るとは思っていなかったけれど、準備は万端だったかのようにタンスから真珠を取り出した。
遺影の母は満足そうだった。
そうか。この日のためにだったのか。
真珠よりも大粒の涙がこぼれた。
自分で用意したものだと、胸を張って母を送り出した。
その日からまた眠り続ける真珠を取り出したのは、50歳を過ぎてからだった。
普段使いをしてみたくなったのだ。そんなことを思うとは自分でも意外だった。
そう言えば最近オシャレもしていない。肌の張りも髪の艶もあの頃と変わった。
真珠の入った箱を鏡の前に置き、美容院を予約した。コスメも新しく買い足した。
首に真珠を当ててみる。
妙にしっくりしていた。
真珠は何も変わらないのに。
審査コメント
変わりゆく日々と、変わらない真珠。そのコントラストによって三輪さんの人生の「移ろい」が鮮やかに浮かび上がる、美しいエッセイでした。