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水に還る

みーりゃん

ライター

「あれ?なんか変」

 

そう思ったのは、テレビで悲惨な事故のニュースが流れていた時だった。

 

犠牲者が沢山出ているらしい。

 

ヘリコプターの音と、リポーターの上ずった声が聞こえる。

 

なのに、私には届かない。

 

 

見える、聞こえる、でも何も入って来ない。

 

「かわいそう」という感情が湧かない。

 

 

そう思った瞬間、テレビと私との間で、薄い透明な膜がぎらりと光った。

 

蛍光灯の光を反射したように見えるそれは、たちまち私をぐるりとくるんでしまった。

 

まるで赤ちゃんのおくるみみたいに。全身をすっぽりと。

 

 

それからは、テレビだけでなく周りの物全てが、私の中に一切入らなくなった。

 

本や新聞を読もうとしても、字面をなぞっているだけで、内容が理解できない。

 

頭と心に鉛をいっぱい詰められたようで、どちらも重く動かない。

 

そして活字中毒だったはずの私が、いつも通う本屋に入ろうとすると、

 

胸がぎゅっとしめつけられた。苦しくて入れなかった。

 

その頃からだ。

 

 

「死にたい」と思うようになったのは。

 

 

ある日、時折お世話になっていたカウンセラーにそれを話すと、

 

途端に彼女の顔は険しくなった。

 

「うつ病かもしれない」

 

そう言って、彼女は心療内科に予約を入れた。

 

へ?うつ病?まさか。いつも明るく元気な私が?

 

でも、少しほっとする自分もいた。

 

私、病気なんだ。

 

 

何年も、心からリラックスできない生活が続いていた。

 

過剰に神経質な夫、古い考え方の義母との三人暮らし。

 

「なんで出来ないんだ?」

 

「こうしなきゃ駄目よ」

 

私の心の中に、二人の言葉が鉛のように重く固まって沈殿していく日々だった。

 

 

診察の日、優しそうな中年の男性医師の前に座る。

 

私は透明な膜の内側から、彼をぼんやり眺める。

 

「薬を出しますから、とにかくよく眠ってくださいね」

 

どうやら数種類の薬を出すらしい。

 

「はい」と言いながら、私の中で声がした。

 

「このまま薬をもらって帰るだけでは駄目だ」

 

 

私は本屋に立ち寄った。

 

薬が入ったパンパンの白いレジ袋をかかえ、苦しそうに歩くゾンビみたいになりながら、

 

私はうつ病に関する本を二冊購入した。

 

のろのろと帰宅した後は布団に倒れこみ、心の中の鉛の重さと闘いながら、

 

買ってきた本を必死で読んだ。

 

 「これから自分がどうなるのかを知っておかなければ!」

 

「病気の知識を入れておかなければ!」

 

とだけ思っていた。

 

そして目にしたのは

 

 

「うつ病の症状の一つとして、自殺願望がめばえる」

 

 

という一文だった。

 

 

翌日からは、食事の時以外ほとんどが寝たきり生活。

 

外出は、通院と近所のスーパーのみ。

 

そんな私を、義母は「怠け者」と言いたげな眼で見てくる。

 

夫はただオロオロするだけだった。

 

私は二人を、鉛の心でただ俯瞰して見ていた。

 

 

ある日の、スーパーからの帰り道、列車が通り過ぎるのを踏切で待っていた。

 

レールの軋む音がだんだん近づいてくる。

 

その時だ。

 

 

「ここに飛び込んだら死ねる」

 

 

急にそんな思いがよぎった。

 

体が少し、前のめりになる。

 

 

「うつ病の症状として、自殺願望がめばえる」

 

 

それを思い出した瞬間、ゴォと鳴った風に乗って、髪が顔を覆った。

 

髪の隙間から、ゴーガタンガタンと、こげ茶色の大きい車輪が通り過ぎて行くのが見えた。

 

カンカンカン、警報音が頭上で鳴っている。

 

遮断機が上がり、一歩を踏み出す。

 

袋からはみ出た長ネギの影が、アスファルトにゆらゆら踊っていた。

 

 

それからも時々、死にたいという気持ちが心に浮かんだ。

 

でも、あの一行が私を冷静にしてくれた。

 

「それ、本に書いてあった。この病気の特徴だよね」

 

私は、通院と薬とで、少しずつ回復していった。

 

 

私が家を出る決断をしたのは、5年ほど経った頃だ。

 

義母を看取り、納骨を済ませた後に、私は言った。

 

 

「一人でやり直すよ」

 

 

夫はあっけにとられて固まった。ずっと言いなりだった私が家を出るなんて、

 

彼にとっては晴天の霹靂だっただろう。

 

その顔は、みるみる怒りと後悔に満ちた表情に変わっていった。

 

 

それでも私は家を出た。

 

再就職をし、新しい趣味を始めた。

 

水泳だ。

 

浜辺の街で育った子供の頃、夏は毎日、輝く海へと飛び出して行った。

 

真っ黒に日焼けした体で、まっさらな心で、まっすぐ沖まで泳いでいく。

 

あの感覚を思い出したかった。

 

水の中で、ぐーんと思い切り体を伸ばす。全身の皮膚が泡立つ。

 

うーん気持ちいい。

 

薄い透明な膜も、私の中に積もった鉛のような辛い言葉も、死にたい気持ちも、

 

伸ばした手足から全て、水に流されていった。

 

そして徐々に取り戻したのは、

 

自由な思考と、軽やかで柔軟な心。

 

そう、それが本来の私。

 

 

 

水の中で大きく伸びをした日から約10年、

 

完全に取り戻した「本来の私」は、ふるさとの海の街へと戻ってきた。

 

 

毎日潮風を頬に感じ、海の波音を聞きながらの仕事。

 

散歩をし、本を読み、エッセイを書いている。

 

 

ある日、砂浜を踏みしめ、沖に向かって目を閉じた。

 

深呼吸すると、今の私と子供の私が、並んで泳ぐ姿が見えた。

 

目を開ける。

 

水平線がきらり、ウインクをくれた。

コメント

  1. ゆこゆこ より:

    文章に無駄な言葉がなく、洗練された印象です。死が身近にあるような辛い経験を癒したのは、命の源である水だったということがすっと腑に落ちました。表現力がすばらしいと思います。

  2. のんの より:

    苦しかった経験を、透明感のある文章でとても流れがよくて
    引き込まれました。
    ステキな文章ありがとうございました。

  3. こみのすけ より:

    言葉の選び方、時間軸、ストーリーの展開、いずれも違和感なく読み進められ、引き込まれました。
    どの場面もドラマや映画を見るように、ありありと情景が浮かぶのは、筆者の文章力だと思います。
    苦しかった時期から本来の自分を取り戻すまで、書き尽くせないほど様々なことがあったのだと思いますが、それらを詰め込み過ぎず、むしろ削ぎ落としても尚、しっかり伝わるものがありました。
    そして読後の後味の良さ、爽やかさ。
    本当に素晴らしいエッセイだと思いました。

  4. ゆみえ より:

    重たいはずの題材を、こんなにも透明感のあるラストで締め括れるなんて…。
    電車のシーン、ドキドキしました。
    私は双極性障害で、もう10年以上、希死念慮と戦っています。みーりゃんさんのエッセイはうつ病で苦しむ人の救いになる事でしょう。私もいつかそんなエッセイが書きたいです。

  5. kazuha より:

    「水平線がきらり、ウインクをくれた。」
    最後のこの表現、やられました…。
    水平線のウィンクで、ぱーっと自分を照らされたようでした☆☆
    全てが報われた気持ちになりました!!
    元気になられて本当に良かった…と安堵しました★★

  6. より:

    うつ病の辛さがすごく伝わってきて、読むのが苦しくなりました。でも、治療や環境を変える努力をし、趣味を見つけ、本来の姿を取り戻せたことにホッとしました。特にラストの砂浜を踏みしめる描写は、解放感が目に浮かぶようで印象的でした。
    素敵なエッセイをありがとうございました。

  7. nana. より:

    透明な膜に覆われた感じ…父も同じ病気と闘っていたので、そんな感じだったんだろうと思い出しながら読ませていただきました。

    どうにもならない状況になりながらも、自分の状況を本で勉強するなんて…その勉強が自分を救うなんて…みーりゃんさんはなんて強い方なんだろうと思いました。

    水の中で伸びをして、
    うーん気持ちいい。
    の箇所で、病気が良くなったんだとわかり、本当によかったと心から思いました。

    情景が見える素敵なエッセイでした。

  8. Yokko より:

    なんというキレイな作品なんでしょう。タイトル始め言葉の一つ一つ、最後のウインクまでどれも心に刻まれます。
    うつの心情を、分かりやすいようで分かりにくいような絶妙な表現で、でもしっかりと伝わってきて…。つらい内容なのにテンポよく、でもすごく穏やかに読み進められました。

  9. Earth より:

    それぞれの情景が目に浮かぶよう。テンポよく、そしてわかりやすい文章。みーりゃんさんの紡ぐこれからの世界が楽しみになってきました。

  10. Sun Shine より:

    感情的にならず、筆者自身とまわりの状況を読者に伝える筆致には感心しました。 筆者の「ウツを知らなくては!」との知識欲が自らの命を救った踏切での描写、何度も読み返しました。
    このエッセイがウツに悩み苦しんでいる人々に届いて生きる力になりますように…

    最後の「水平線がきらり、ウインクをくれた。」太陽の光加減でキラキラすることをウインクと表現する筆者の感受性。このウインクという言葉、ウツの始まりから回復した様子を書いた筆者の明るい未来が予言されているよう。
    チャーミングなフレーズでほのぼのしました。

  11. chako より:

    実際にうつ病にかかってしまった人のリアルな心情が非常にわかりやすく、また情景も目に浮かぶようでした。闘病生活から一転、ひとりでやり直すよ。とても勇気がいったと思います。このエッセイは、うつ病と闘っている多くの人を救うと思います。

  12. Aisha より:

    2度読みました。1度目は、なんだか怖くなってしまいさらりと。日をおいて2度目は、映画を見るかのように読みすすめました。
    五感が生き返る感覚、生きてる!という感覚を文と共に味わうことができました。
    スクリーンで映像を見ているかのようでした。
    こんな風に過去を振り返られたら素敵だなと思わせてくれた作品です。

  13. non より:

    すてきなタイトルだな…と、読む前から惹きつけられました。あの時の自分と今の自分を俯瞰的に見る文章、本来の自分を取り戻した瞬間など、言葉に力を感じました。

  14. れいこ より:

    薄い透明な膜、すごくわかりやすくて、素晴らしい表現だと思いました。
    皆さんも書かれていますが、タイトルも秀逸だと感じました。

    今、鬱で苦しんでいる友人にも読んでもらいたいなと思います。
    お話し書いてくださってありがとうございます。

  15. aako より:

    最悪のことを考えるほど、辛かったみーりゃんさんが、自分を取り戻していく様子が、伝わってきました。
    タイトルも内容もまさに映画のようで、光を見つけたみーりゃんさんを応援したくなりました!

  16. E より:

    自身の異変を感じ取った冒頭の描写から、静かに映像を重ねていくかのようで鮮やかです。

    つらい中でも手がかりを求め、苦しい思考をただ否定するのではなく得た言葉と照らし合わせて受け止める様子、透明な膜の内側から放たれて広い水の世界で身も心もほどけていくさまが抑制された筆致で語られ、短編映画のようでした。

  17. 晴る より:

    病気の五感、薄い透明の膜、ぐるりとくるんだ。まるでおくるみのように…などの表現と心情もとても伝わり目に浮かびました。私も病気のことを書いたのですが、五感で書くことが分からなくて、勉強になりました。立ち上がり、水の中で本来の自分を取り戻す姿はとても心に沁みました✨ありがとうございました。

  18. どいのり より:

    みーりゃんさん
    まずは、タイトル「水に還る」
    とても興味をひかれました。
    そして、前半と中盤にでてくる「薄い透明な膜」これが何なのかすごく気になりました。
    これがうつ病の症状なんですね。
    医師からの診断の後、買ってきた本のあの一行を知らないままいたら…と思うと…

    みーりゃんさんの半生がぎゅっと詰まったエッセイなのに、全然説明っぽくなく、描写が素敵です。
    病気を克服されて新しい生活の中、水泳という目標を見つけ、今が一番輝いているように思えます。
    「水に還る」なのですね。

  19. みょんきち より:

    まず、とても泣けました!素敵なエッセイでした。タイトルからかなり惹かれまして、読んでいて、もっともっと読んでいたいと思いました!
    病気と戦う自分、生きていく道を見つけていく姿に心をうたれました。勇気をくれる作品でした!

  20. suzu より:

    うつ病の描写自分と重なる部分がありましたが、辛さも伝わるのに、サラリとした文章ですごいなと思いました。

    人生の大きな選択をサラリと軽やかに描かれて、本来のご自身に還っていかれたことが
    心から良かったと思うのと同時に、瑞々しくさわやかで
    とても素敵だと思いました。

    羨ましくもなりました♡

  21. asami より:

    “あれ?何か変”から始まり、、え?何があったのだろう…と一行目から世界に入り込みました。。
    “毎日潮風を頬に感じ、海の波音を聞きながらの仕事”〜の描写がこちら側にまでさわやかな海の潮の香りがしてきそうで…笑顔になれました♪素敵なエッセイありがとうございます。

  22. ちあき より:

    タイトルも素敵ですが、『薄い透明な膜」という表現がささりました。ざらりとひんやりした前半部分の映像が目に浮かび、温度感が伝わってくる気がしました。
    最後、今の私と子供の私がリンクするところも、なんというか全体的にすごく好きです。

  23. かおりん より:

    文章の一つ一つから情景が浮かび、作者と読み手の私が一心同体になれる作品だと思いました。子どもの頃の自分と今の自分。人間は変わっていないのに、本当の自分じゃない違和感と、うつ病という診断。そこから本当の自分を取り戻す為に、よし!と思い立った所からが、本当にキラキラしていて、読んでいる私まで嬉しくなりました。
    故郷の海で、思いっ切り伸び伸びと泳いでいる姿が目に浮かびました。「水に還る」タイトルも作者も素敵です!

  24. mint より:

    病気の辛さが伝わってきて
    切なかったです。すごく身近に感じる内容で自分の事のように読み入ってしまいました。前に進もうと頑張る姿勢にも他人事とは思えない気持ちになりました。環境を変え、本来の私を取り戻されたことはとても嬉しく良かったな〜と思いました。

  25. ヒトミ より:

    うつ病の時の心情や、涙などの描写がとてもきれいに描かれているなと感じました。
    最後に自由を手に入れて、本当の自分を取り戻していく様子に『あーよかった。』と心から思えました!
    素敵なエッセイありがとうございました!

  26. yuki より:

    タイトルが素敵です。
    最初は、読んでいて苦しくなりましたが、自分に戻っていく描写がとても美しく引き込まれるエッセイでした。

  27. M より:

    鬱の症状を薄い透明な膜の中にいる自分→病気が判明したことをきっかけに、このままじゃダメだと自分の症状を俯瞰して見ている自分。
    行間から情景が、主人公の苦しみがありありと浮かんできました。
    家を飛び出し、水泳を始め自分を取り戻していった主人公に良かったね、これからも応援してるよって伝えたいです。タイトルの「水に還る」が読み終わった時に全てに繋がっていて余韻が残る作品でした。

  28. ぴかぴ より:

    鬱の症状に気付いた時の描写が軽やかなのに痛みが伝わってくるのがすごいと思った。テンポよく読み進みながらも
    ひとつひとつの言葉のセンスに唸りました
    グランプリにふさわしいと思いました

  29. もんはく より:

    それでも長葱を買っていた状況に胸にささりました。
    ゆっくりとでも本来の自分に
    還っていく描写が丁寧で心に沁みます。

  30. Sky より:

    テンポの良い文章に引き込まれました。
    エッセイの最後には爽やかな風が吹き水面がきらきらと輝いている情景の中で今はふるさとで穏やかに過ごしている姿が想像できます。
    辛い時期もあったけれど今は過去の自分を語ることができる彼女にエールを送りたいです。

  31. まぽ より:

    ストーリーが頭の中で描写できてとても容易に私の中に入ってきました。情景が浮かぶと、とても共感もしやすい。
    私も心が張り詰めすぎてボロボロになったことがあったので、どうなってしまうのとハラハラドキドキしながら読み進めました。
    最後に水に還れたこと、良かったね、と心から思いました。
    人はいろいろなことを経験するけど、最後は本当の自分に還っていくんだなと、それが幸せだよねと思わせてくれる心に沁みるお話でした。

    • みーりゃん より:

      まぽさん
      コメントありがとうございます。
      今だからこそ書ける内容でした。
      心が張り詰め過ぎるって、良い事なんかないですね。
      そんなときは、意識して心をほぐして、身体をぐーんと伸ばすのがいいですよね。

  32. mai より:

    情景が目に浮かび、また感情がとてもリアルに伝わってきました。
    苦しまれていたいた過去、そして自由を手に入れて、本来のご自分を取り戻せたこと、本当に良かったですね。

    • みーりゃん より:

      mai さん
      コメントありがとうございます。
      今だから書けたのだと思っています。

  33. ジョニイ より:

    とても共感できました。
    私もうつ病になったことがあり、通過列車に吸い込まれそうになった経験があります。危ない方向へ流れそうになるところをなんとか断ち切ることができてよかった、水泳で自分を取り戻すことができてよかったと思いました。
    文章の流れやテンポ、改行位置なども絶妙で、気持ち良く読み進められました。私の中ではグランプリです!

    • みーりゃん より:

      ジョニイさん
      共感していただけて、とても嬉しいです。
      列車に吸い込まれそうになる感じ、怖いんですよね。
      いきなり異世界にもっていかれそうになるんです。
      お褒めのお言葉も、本当にありがとうございました。

  34. きえ より:

    タイトルがすごく良かったのでよんでみました。すごーい!!なんて爽やかなエッセイ…うつ病の描写や、その後のひとりで立ち上がっていく姿。ありありと想像できて、まるで自分ごとのように感じました。勇気をもらえました、読後の爽やかで穏やかな気持ちをありがとうございました。

    • みーりゃん より:

      きえ さん
      タイトルは、これしかないだろ?と思ってつけたので、とっても嬉しいです。
      ありがとうございます。
      時間が経ったから、やっと書くことが出来ました。

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