牛すじおでん
chako
ライター
母は、料理が下手だった。
味のしないチャーハン、ケチャップだけがべっとりとかかったオムライス、生焼けのハンバーグ。
そして醤油の味しかしない、ひどく真っ黒な煮物。
どれもこれも「まずい」とはっきり言い切れる。
正直、大人になってからも母の料理だけはどうしても好きになれなかった。
母も自覚していたのだろう。
食卓には、うなぎを温めてご飯に乗せただけのうな丼、レトルトの麻婆豆腐、冷凍のグラタン、ただ焼いただけの魚が並ぶことが多かった。
「ねぇ、このチャーハン味しないよ?」
小学生だった私は、毎週土曜の昼に毎回出てくるそのチャーハンにうんざりして、つい文句を言った。
「作ってもらっといて文句を言うんじゃないの!」
そう一喝され、私は口を閉ざした。
また、作ってから三日目のカレーを出されたときのこと。
「なんか匂うんだけど、腐ってない?」
そう問いかければ、
「腐ってへんわよ!神経質やなぁ、お父さんそっくり!」
そう言い返されて、翌日トイレにこもりきりになるのがお決まりだった。
そんな母の料理の中に、ただひとつだけ「世界一」と思えるものがあった。
━━おでん。
おでんの日の母は、いつもより少し誇らしげだった。
朝早くから金色の大鍋を取り出し、勢いよく水を張る。
冷蔵庫から取り出したのは、濃いピンク色と脂の白がキラキラ光った拳大の牛すじの塊。
「ホリトさんとこのお肉やで。そこらへんの安いのとは違うんやから」
そう言う顔は、いつも以上に輝いて見えた。
鍋に牛すじを放り込み、ぐつぐつ煮えてくると、部屋中に肉の甘い香りが満ちていく。
その香りに包まれるだけで、胸がじんわりあたたまる。
一時間ほど煮込んだら、ザルにあけてお湯を切る。
モコモコ真っ白な湯気と共に茹で上がった牛すじがほっこりと現れた。
私が熱さで指を引っ込めてしまうのに、母は平然と素手で肉を掴んだ。
まな板にドンっと乗せると素早く包丁で細かく刻み、さらにそれを鮮やかなスピードで次々と竹串に刺していく。
「熱いうちにせな、固まって刺されへんのよ」
「火傷せえへんの?」
心配になった私は母の手を触って確認した。
「せえへんよ、慣れとるもん」
笑いながらそう言った母の手は温かく、たまらなく格好良く見えた。
下茹でした大根、卵、そして他の具材を加えて、出汁でさらに煮込む。
「どれくらい煮込むの?」
「せやなぁ…六時間くらいかな」
美味しいものには手間と時間が必要だ。
そうして丹精込めて作った料理は家族を元気にする。
そんな言葉を、母の背中が教えてくれた。
━━六時間が過ぎた頃。
事件が起こった。
習い事から帰った十歳の私は家に足を踏み入れた瞬間、鼻の奥を刺す焦げ臭さに息をのんだ。
「ちょっとお母さん!焦げ臭いよ!」
母はベランダにいて、慌てて戻ってコンロの火を止めた。
大鍋の底には、黒く焼きついた大根。
誇りだった牛すじまでもが、無惨なほど焦げて貼りついている。
「やらしい…焦げてしもた」
目を伏せる母の横顔が、いつになく小さく見えた。
胸に重たい沈黙が落ちる。
泣き出しそうな私をよそに、母は焦げた具材を皿に取り、そっと口に運んだ。
「ん…美味しい!」
驚いたように目を大きくし、私を促す。
「ちょっと食べてみぃ、ほんまに美味しいから!」
「うそやん!」
そう拒んだものの、母は熱い大根を私の口の中へ押し込んだ。
……その瞬間。
目の前が開けた。
炭火で炊いたような深いコク。
焦げの苦みが大根の甘さを引き立て、ほろほろとほどけていく。
焦げた牛すじも驚くほど柔らかく、苦味と旨味の重なりが舌に残る。
「…お、美味しい!」
私が言うと、母は安堵したように笑った。
「お母さん秘伝の炭火焼き牛すじおでんや。よう覚えとき」
━━あれから四十年。
「昨日な、久しぶりにホリトさんとこのお肉でおでんを作ったんやで」
痩せ細った母の手を握りしめ、私は静かに話しかけた。
元祖“炭火焼きおでん”の師範である母は、今、病院のベッドで静かに眠っている。
鼻チューブで栄養を摂り、もう言葉を話すことも、美味しいご飯を味わうこともできない。
「あの焦げたおでん美味しかったなぁ、覚えとぉ?」
ぼんやりと一点を見つめていた母の目が、ふっと細くなり、ほんの少し笑ったように見えた。
「お母さんの作る料理、不味かったはずなんやけどな…」
「何でかな?また食べたいんよ」
味のしないチャーハンもケチャップだけがべっとりとかかったオムライスも生焼けのハンバーグも。
そのどれもが私にとってはかけがえのない”お袋の味”だ。
母が料理することが出来なくなって今さら気づくなんて。
目の前にあった当たり前の幸せは当たり前ではなかった。
目頭が熱くなるのを感じながら私は言った。
「お母さん、ありがとう」
「でも、あの炭火焼きおでんだけは超えられへんわ。火事が怖いからな」
━━そのとき、
フワッと母が私の手を握り返してきた。
その温もりは、アツアツの牛すじを触っていたあの手の温もりと同じだった。
コメント
お母さん秘伝の炭火焼きおでん、うまそう。
手の温もりが感じられるエッセイも、うまい。
あーーこれはヤバいです
お母さんの料理がマズイから始まって、豪快なお母様のおでんエピソード、からの切ないお母様の現状、そして温もりに包まれた最後の結び。感動しないはずがありません。
素敵なお話をありがとうございます✨
読み終えたら、目がうるうるしてました。
病院のベッドに寝ているお母様に話しかける場面は言葉になりません
最高のおでんですね。
のんのさん、コメントありがとうございます!目がうるうるだなんて嬉しいです。その温かい言葉で私の目がうるうるしてきます(T ^ T) 本当に感謝しかありません。
はじめはおでんが美味しいというほっこりなお話かと思い、ほほえましく読み進めさせてもらっていたら…お母さーーん( ; ; )って、胸に急にぐっときました。ドラマのようなお話で、余韻に浸ってしまいました。素敵なお話ありがとうございます!
Yokkoさん、コメントありがとうございます!認知症が始まりバタバタ介護してた頃は昔の事なんて思い出す余裕もなかったのですが、今は寝たきりになり静かになると色んな事を思い出します。そんなもんなんですかね。
chakoさん
読み進めるうちに、私の母が思い浮かびました。
私の母も料理が苦手で、いつもchakoさんのように不満タラタラでした笑笑
お母様がおでんを作る過程の描写がとてもリアルで引き込まれました。
後半はさらにchakoさんの感情が伝わり、最後は目頭が熱くなりました。
どいのりさん、コメントありがとうございます!文句言うとめっちゃ怒られたのであまり言えず、生焼けハンバーグは電子レンジでチン、味のしないチャーハンとかは自分で塩こしょうやマヨネーズかけて食べてましたw お陰様で今、私も妹も料理上手に育ちましたよ。どいのりさんも上手そうですね!
冒頭と終わりとのギャップが激しくて驚きました。
お母さまとの会話もほっこりして素敵です。
私も母の手料理を思い出しました。
みーりゃんさん、コメントありがとうございます!冒頭と終わりとのギャップ。大阪人気質で感動ライティングでも必ず笑いを交えたくなります^ ^だけどバランスを取るのが凄く難しかったです。Ayumiさんにも指摘されましたが、急に話しが変わると読者の集中力が切れる、流れはそのままで温かい手のキーワードで繋げるとよいとアドバイス受け、上手くまとめる事が出来た次第です。お母さまの手料理を思い出して頂けて嬉しいです^ ^
読み終わった時、「私にとっての母の味って、何だろうな…」と考えました。必ずしもおいしい物ばかりではなくて、他では絶対食べられない味•作っている姿を思い浮かべるメニューなど、思い出とセットの母の味を、chakoさんのおかげでいろいろ思い出しました。
nonさん、コメントありがとうございました!そうそう、母の味ってただ美味しかったものではなく、色んなドラマ、ストーリーとセットで思い出として残ってますよね。nonさんの思い出の味とストーリーも聞いてみたいです^ ^
お母様のお料理が不味い・・・という話かと思いきや…
最後に、心がジーンと熱くなりました。
私も母との良くない思い出がありますが、きっと今後母の弱った姿を見ると「あれもおかんが元気やったからの出来事やな…」と、思うんだろうなと思いました。
そして、元気なうちに親孝行しないとな…とも思わされました。
自分と母とが重なり、タイトルと序盤からは想像がつかない、考えさせられる作品でした。
私も、chakoさんのお母様のお料理を食べてみたくなるようなお話でした。
素敵なお話を、ありがとうございます!!
kazuha さん、コメントありがとうございます!母の料理が不味かった。マイナスのイメージしかなかったのですが、エッセイは良くなかった思い出もこんなキラキラした思い出に変えられるんだと知りました。深く共感して頂き感謝です^ ^
暖かいお話でした〜私もきっといつか母が居なくなってから実感するんだろうなぁ、と思い涙が溢れました…実家に帰れば当たり前に出してくれるどんなご飯もごちそうだよね♡と思えます!
chakoさんのエッセイを通じて大切なことを思い出させて頂きました。
ありがとうございます♪
asami さん、コメントありがとうございます!母が毎日料理をする。当時は当たり前の日常の出来事。何なら、どうしてもっと上手に作れないの?と不満にすら思ってた。目の前にある幸せは日常に埋もれて見えづらい。これは私が読者に一番伝えたかったことでそれに気づいてくださって、とっても嬉しいです╰(*´︶`*)╯♡
すごく引き込まれました。
炭火で炊いたような深いコク。
焦げの苦みが大根の甘さを……
美味しそうです!
私燻製が大好きなんですよ。だから、今度おでんの大根を燻製してみようって思いました(笑
お母さんって、なぜか、熱々の具材がさわれたり、熱々のご飯でおにぎり作れたりするんですよね〜
私も子供の頃、すごいなあって思ってたこと思い出しました。
素敵なお話をありがとうございました。
れいこさ〜ん、コメントありがとうございます、嬉しいですT^T れいこさんの作品もいつも楽しく拝見させて頂いております。おでんの大根の燻製ですか!見たことも聞いたこともないのでおそらくれいこさんが初でしょうね。美味しいかもしれません…試して美味しかったらぜひ教えてくださいm(_ _)m
炭火焼おでん、まさにおふくろの味ですね。
私は料理が苦手なので、お母さんの気持になって読みました。
「何でかな?また食べたいんよ」
この愛情あふれる言葉、お母さんにしっかり伝わったと思います。
aako さ〜ん、ついに私、aako さんからコメントを頂けるまでに登り詰めたんですねT^T 嬉しすぎます。また食べたいんよ、のセリフ。Ayumiさんからのアドバイスもあって書いたんですが、自分で書いておきながら泣けてきました。気持ち、おかんに届いてるといいなぁ〜(エッセイ上ではお母さんですが、実際は”おかん”って呼んでましたw
おでんのように沁み渡るエッセイでした。ジンと心が温かくなりました。お袋の味、最高ですね✨台所にあるおでんや、病院でのお母さまが目を細めほんの少し笑ったように見えた描写も目に浮かびました。素敵なエッセイをありがとうございました。
晴るさん、コメントありがとうございます!寒さの厳しい冬にほっこり心が温かくなるエッセイを書きたかったので、そう言って頂けると嬉しいです^ ^
ありがとうございます♪
心温まるエッセイで、親子ってそういうもんだよねと思いました。
今時のIHはタイマーで消してくれる機能もありますか、昔は何処のお母さんもよく焦がしていました。懐かしいです。
中東さん、コメントありがとうございます!そうそう、昔のコンロってやたら火力強くなかったですか?卵焼きとか早く巻かないと直ぐ焦げてしまう。今はIHで便利になりましたよね^ ^
お母様の手の温もりが伝わってきてグッときました。竹串に牛すじを刺していた手の温もりと、病院で手を握り返してくれる温もり。自分の母の手作り料理を思い出しました。
ちあきさん、コメントありがとうございます!この手の温もりを繋げていく部分はAyumiさんからのアドバイスで、修正でかなり悩んだところでした。伝わって、お母様の手料理をまた食べたくなったとのこと。凄く嬉しいです^ ^
おでんの着目点がすごく面白いです!
chika さん、コメントありがとうございます!今回のグランプリのテーマ、何にしようか考えてた時、晩御飯のおでんを作りながらフッとこの話しを思い出し、そうだ、おでんにしようと決めました。アイデアって突然降ってきますよね。着眼点がいいと言って頂けて嬉しいです。
とても感動しました!!
私自身あまり料理が得意ではないので、子供が思い出してくれる手料理があるのか。。ひとつもないような気がしてちょっとお母様が羨ましい気がします。
今は病床でお過ごしとのこと、優しく寄り添っておられる様子も目に浮かびます。
お大事になさってくださいね。
素敵なお話しありがとうございます!!
モコさん、コメントありがとうございます!モコさんの手料理、忘れられない味、絶対あります!それは今はわからなくても、居なくなったり、食べられなくなったときに思い出すんですよね。不思議です。
唯一美味しいお母さんの味が、世界一と思えることがとても素敵ですね!
牛すじを下茹するところから、美味しいおでんが出来上がるんだろうなとワクワクしていたら、まさかの焦がしちゃう事件!
そしてそこからのどんでん返しが秀逸でした!
そして最後にはお母様と暖かく心が通じ合あわれて。
とても感動しました!
suzu さん、コメントありがとうございます!あー、嬉しい…
自分が書いた文章を読んで頂けて感動したとコメント頂けるなんてこんな幸せなことないです。エッセイを始めてから人生変わりました^ ^決して大袈裟ではなく。
おかんのおでん
感動しました…
親が元気な時は文句いったり
甘えて大人になっても
スネをかじってきたけど…。
親もいつまでもそばに
いないんだなと気づいた時
親の嫌な部分ではなく
おでんのような温かい部分が
ふと浮かんで涙する…
そんな温かくもあり
切なくもなるエッセイでした。
どん兵衛さん、あなたは母のおでんが大好きな人でした。主宰のAyumiさんが言ってました。〜エッセイはキラキラした形で思い出として置いとける〜
これからも色んな思い出を書いて残していこうと思います。応援よろしく^ ^
焦げたおでんを「炭火焼きおでん」と言い切るお母様のセンスに脱帽しました!chakoさんがお母様の料理をずっと記憶に留めていること、それを伝えてくれたこと、お母様は病床でとても喜ばれていたのではと思います。
読ませていただき、ありがとうございました。
ほぎさん、コメントありがとうございます!炭火焼きおでんは子供の頃、本当に衝撃的だったので今でも忘れられないんです。母もまさか娘がこの話しをエッセイにして皆さんから温かいコメント頂いてるなんて想像もしてないと思います^ ^
心の奥がじーんと暖かくなりましたうちの母もあまり料理が得意でなかったけど、甘い炊き込みご飯がまた食べたくなりました。
Pandaさん、コメントありがとうございます!料理上手な母には恵まれなかったけど、それでもお袋の味って残るんですよね。甘い炊き込みご飯もPandaさんにとっては世界一の味なんでしょうね^ ^
うちの母は下手ではないけど、料理嫌いでした。でもナスのぬか漬けだけはおいしかった。
大坪さん、コメントありがとうございます!ナスのぬか漬けも毎日ぬかをかき混ぜて手間がかかるのに家族のために面倒でもされていたんですかね。そういう味って忘れられないですよね。
予想外に黒焦げになった大根や牛スジ肉を『秘伝の炭火焼き牛すじおでん』としてしまったお母さんがお茶目で可愛いなーと思っちゃいました(≧▽≦)
今は病床でお過ごしのお母様ですが、おでんの話題を出してもらって、とても嬉しかっただろうなと感じました!!
素敵なお話ありがとうございました( ◜‿◝ )
ヒトミさん、コメントありがとうございます!母はおでんだけは自信があったので相当ショックだったはずなのに、最後は笑いに持っていく。大阪のオカン代表みたいな人でした。今はもう意思疎通出来なくなってしまって残念ですが、きっと喜んでくれていると思います。
お母さんの人柄がすごく伝わってきました。
牛すじを塊から調理するなんて、びっくりです。最高のおでんですね。
焦げたおかげで、美味しくて忘れられないお母さんの思い出も味になるなんて!
最後はじーんときました。
yuki さん、コメントありがとうございます!おでんを作るたびに思い出し、母の味に近づけようとするのですが、牛すじがどうしても堅くなってしまいます。読んで頂き、感謝です^ ^
とても胸を打たれました。
最初は思わず笑ってしまうような「母の料理の下手なエピソード」かと思えば読んでいる途中で、気づけば“料理の上手い・下手”という言葉の話ではなく、親子の記憶の物語になっていてとても感動しました
mako さん、読んでいただいたのと、コメントもありがとうございます!母の料理が下手なエピソードがこんな感動的な話しになるなんて、エッセイはやっぱり楽しいです♪
方言も交えたセリフでの親近感と最後の牛すじを作る手の温もりを連想させるような一言が素晴らしかったです。面白い!
Lulu さん、コメントありがとうございます!親近感を持って読んで頂き嬉しいです。
たんたんと読み進めた中に、思わぬ事件!焦げたおでんが美味しかったことに笑い、終盤にお母様の闘病中の会話に涙しました…。
『炭火焼きおでん』最高でした!
nana さん、コメントありがとうございます!母の料理に毎回ケチつけていた父も炭火焼きおでんは絶賛で、「おいお前、毎回焦がせ」と言っていたのを思い出します。真似したくても火事が怖くて出来ません。幻の味ですw
本当に感動しました。
お母様のおでんの味、誰も越えられないでしょうね。
chakoさん達のために、6時間かけておでんを煮込んでくれている様子を思い浮かべると、もう泣きそうになります。
今は、病床におられるそうですが、いつまでもお料理されていた思い出は色褪せないですね。
mai さん、コメントありがとうございます!読んで頂くだけでも嬉しいのに、感動しましたとのお言葉、冥利に尽きます。下手でも果敢に挑んでいた母の姿はずっと忘れないでおこうと思います。