母の縫い目
ライター:KAO

「お母さんの事、昔から大嫌いだった。もう2度と会いたくない。だから出て行って。」

 

本当はこんな事言いたくなかった。

 

もしあの時、お母さんの『縫い目』に気付いていたら、こんな事言わずに済んだのかな。

 

__私は子供の頃、大の母っ子だった。

家にいても片時も母から離れない。そんな子供だった。

 

しかし大好きなのに、離れて暮らす事になる。

両親が離婚をしたのだ。

 

私と父は北海道に残り、母は実家がある沖縄へ帰って行った。

 

母は、毎日電話をくれた。学校から帰って来てまず母と話す。これが私の楽しみとなっていた。

電話を終えて寂しくなると、母が手作りしてくれた人形を抱きしめた。

決して上手な出来とは言えず、ひと針の縫い目が微妙に大きい。

花柄の服を着たこの人形が、私と母を繋いでくれている気がした。

 

ある日いつもの様に母と話していると、少しためらいながら母が言った。

「お母さんね、再婚するの」

 

聞けば旦那さんになる人には、私と同じ歳くらいの男の子が二人いるという。

 

「そっか。良かったね。おめでとう。」

 

私は母を取られた気分になったのが伝わらない様に、心を殺しながら口を開いた。大好きな母が困らない様に。

電話で良かった。顔を見られなくていいから。

私は小学校四年生だった。

 

やがて私も母になり、忙しい毎日を送っていた。そんなある日、母からのメールが届いた。

 

ーーついたよ。どこにいるの?寒いよ。

 

「…え??」

私は驚きすぎて目が点になった。

 

出先から急いで自宅に戻ると、玄関前に真冬の北海道にいるとは思えない軽装の母がいた。

私がずっと会いたかった人。

 

「んと、久しぶり…」

私は複雑な表情をしていたと思う。

 

母は、ただひと言、

「…寒い」

とだけ呟いた。

 

おかしい。何か様子がおかしい。

私が大好きだった、優しく明るい母に表情が無い。

 

ひとまず母と家に入ると、さっきの無表情から一変し、母は

「ただいま!!今日からここが私のおうちなの!!」

と満面の笑みで叫んだ。

 

ーーいや、あの、今、久しぶりの母娘の再会で‥。

元気だった?とかは無いの?

 

例えようもない不気味さを感じた私は、母の再婚相手と連絡を取った。

 

__母は、統合失調症になっていた。

自分にしか見えない世界の中で、何かを求めてここまで辿り着いたのだろう。

 

そこからの我が家はもう、母中心の生活だった。

 

母には幻覚や幻聴の症状があり、常にブツブツと独り言を言った。

見張られている!と朝からカーテンを閉め、音が漏れるとテレビも消される。

私が文句を言うと暴言を浴びせてきた。

 

義父に連絡すると、自分も息子達も皆忙しいため、迎えには数週間かかるという。

 

忙しい?

なぜ?

遠いから?

家族でしょ?

心配じゃないの?

 

怒りが込み上げる。

 

私が幼い頃、父の帰りが遅くて一人で冷たいご飯を食べていた時、あなた達は私の母のご飯を食べていたんでしょう?

 

私が母恋しさに眠れずにいた夜、あなた達は母と温かい布団で寝たのでしょう?

 

私が熱を出して「お母さん、お母さん」と泣いていた時、あなた達は母の手作りのお菓子を食べていたのでしょう?

 

なぜ今、彼女を放っておくんだ。

 

私から母を奪っておいて、厄介者になったら捨てるのか。

 

そんなの許さない。

 

ふと昔、義父の連れ子達と会った時、彼らも母が作った人形を持っていたのを思い出した。

 

憎かった。

母を愛していたから、母もろとも、憎らしかった。

 

今、私には守りたい家族がいる。

 

……帰ってもらおう。

母を捨てて良いのは、あなた達では無い。私だけ。

 

数週間後、ようやく義父が迎えに来た。

そして、帰る事を拒んで義父に暴言を吐く母に、私は大きな嘘をついた。

 

「お母さんの事、昔から大嫌いだった。もう2度と会いたくない。だから出て行って。」

 

私が悪者になろうと思った。

 

母は暴れるのをやめ、義父に優しく諭されながら無表情で帰る支度を始めた。

私の放った言葉の重みがのしかかる。もう、一生会えないかもしれない。

 

「じゃあね」

涙一つ流さずポツリとそう言うと、母は帰って行った。

 

母がいなくなり、我が家にいつもの暮らしが戻ってきた。

そんなある日、ふとお気に入りのエプロンを見ると、破れたポケットが繕ってある。

 

夫の母かなと思いお礼の連絡を入れると、

 

「何の事?知らないよ」と言う。

 

じゃあ誰?夫?そんなわけない。

じっくり縫い目を見てみた。

 

ん‥?

 

そっとその縫い目を撫でてみる。

 

その瞬間、古い記憶が蘇ってきた。

 

何度も何度も抱きしめた、あの人形。

あの人形が着ていた花柄の服を、不器用に繋ぎ止める大きな縫い目。

 

あの縫い目と、同じだった。

 

……母だ。

 

これは、母の縫い目だ。

 

母はきっと、この家でふと、私の破れたエプロンを見つけたのだろう。

 

あの頃より少し雑だけど、沢山眺めた、優しくて懐かしい縫い目。

 

「お母さん、ありがとう、ごめんなさい、2度と会いたくないなんて、嘘だよ」

 

私はエプロンを抱きしめて子供の様に泣いた。

 

いつか会えたら母に伝えたい。

「ごめんなさい。本当は愛してるよ」と。

コメント

  1. yui より:

    タイトルが最後に回収されていく感じがすごく美しい文章だなと思いました。お母さんへの愛と大人になってからの急展開、KAOさんの心の動きが丁寧に描かれていて引き込まれました。言い表せないくらい複雑で辛い気持ちがたくさんあったと思います。表向きのお母さんが変わってしまっても、大好きと伝えたいというKAOさんの優しさと愛の深さにぐっときました。

    • KAO より:

      とても温かいコメント、ありがとうございます!

      世の中の沢山の世代のお母さんと子供達が、いつも愛で溢れた時間を過ごせる事が私の願いです✨

  2. あさみ より:

    状況が目に浮かぶようで、寂しさや羨ましさ、怒りなどの感情がしっかり伝わってきます。
    「自分が悪者になる」って、どれだけの覚悟が必要だったのかと考えると、胸が痛くなりました。

    私は母が大好きだけど苦手。
    常に宗教が軸にある母と合わず、いつも素っ気なくしてしまいます。
    だけど、「大好きだよ。いつもありがとう」って素直に言ってみたくなりました!

    読ませていただいて、ありがとうございます。

    • KAO より:

      コメントありがとうございます!

      あさみさん、大変ご苦労なさっているのですね( ; ; )

      子である以上、親の事は絶対大好きなんですよね。モヤモヤは尽きないと思いますが、どうかあさみさんはあさみさんのままで✨

      自然にお母様との距離が縮まる事、祈っております。

  3. Satsuki より:

    さすがKAOさん!と言いたくなるなるような、すごい文章でした。

    お母様やご家族に会ったことが無い私でもそれぞれ皆さんのことを想像できる文章・・・。

    何回読んでも泣けます。
    ライターとしても、とても勉強になりました。

    • KAO より:

      コメントありがとうございます!

      私などに、もったいないお言葉。心が温かくなりました!

  4. れいこ より:

    まず、タイトルを見て美しいタイトルだなあと思いました。そして、読んで納得しました。これ以上のタイトル、ないですね。

    そして、短編小説を読んでいるように惹きつけられました。情景がありありと浮かびました。北海道のお家の玄関とか、お人形も、私の目の前に浮かびました。

    KAOさんの哀しみと、怒り、愛情がもうぐちゃぐちゃになって感じられて、たまらなかったです。いつかいい形で再会できますように。

    心がグラグラに動くお話を読ませていただいてありがとうございました。

    • KAO より:

      コメントありがとうございます!

      沢山の有難いお言葉、素直にとても嬉しいです。
      いつか、生きて母に会える事を夢見ています✨

  5. ayaco より:

    愛情からの寂しさや妬み、憎しみの気持ちが真っ直ぐに伝わってくる文章で、心に刺さりました。
    母と娘の伝えきれない愛情の形が切なくて、優しくて、涙が溢れます。
    大切な思い出を共有していただきありがとうございました。

    • KAO より:

      コメントありがとうございます✨

      私の昔話が誰かの心に刺さる‥
      こんな嬉しい事はありません。幼い頃の自分に、大丈夫、あなたの頑張りにいつか誰かが一緒に涙してくれるよ。と言いたいです☺️

  6. aako より:

    タイトルからどんな話なんだろう?とワクワクドキドキしました。
    あれほど恋焦がれたお母さんに言わざるを得なかった言葉…。
    ドラマを見ているような情景が浮かびました。
    私の胸が締め付けられるほどの母への愛が感じられます。

    • KAO より:

      コメントありがとうございます✨

      まだ母とは会えていませんが、いつか会えたのなら、素直に気持ちを伝えるつもりです✨

  7. kazuha より:

    タイトルの『縫い目』の意味が繋がった時、じーんとしました。
    無意識のお母さんからのKAOさんのへの愛情。
    そんなお母さんに、言わないといけなかった一言。
    胸が苦しくなりました。
    お母さんに本当の気持ちを伝えられると良いですね^ – ^

    • KAO より:

      コメントありがとうございます✨

      自分も親になり、子供を想う気持ちがわかった様な気がします。

      必ず生きているうちにもう一度、会いたいです!

  8. 小野寺 仁美(ヒトミ) より:

    「母の縫い目」というタイトルから、「どついう話なんやろう!!」ととても興味を惹きつけられました!!
    統合失調症になっても、娘への愛情はしっかり残ってるんだなーた思わせてくれた文章だなと感じました(⁠ ⁠◜⁠‿⁠◝⁠ ⁠)⁠
    沖縄から遥々北海道まで来たお母様の行動がまさに愛だったんだなーと感動しました!!

    • KAO より:

      コメントありがとうございます✨

      まだ母とは会えていませんが、いつか必ず親孝行したいと思っています✨

  9. ray より:

    リアルに母への想いが伝わってくる文章ですね。自然と涙が溢れてきました。どんなに辛い思いをしても、やっぱり母のことが忘れられず大好きで、かけがえのない唯一の存在なんですね。もっと早く気づければよかったのに、いろいろなファクターが素直な気持ちにフィルターをかけ……優しい嘘をつくはめに……いつか、いつか必ずお母さんに会いに行ってください。

    • KAO より:

      コメントありがとうございます✨

      どんな思いでエプロンを縫っていたのだろうと思うと、本当に今でも涙が出て来ます。

      ありがとうございます、必ず会いに行きます!

  10. yoshiko より:

    私はまずこのタイトルのシンプルさに惹かれました。どんな文章が描かれているのだろうと、とても興味深かったです。

    「母の縫い目」で人形の縫い目とエプロンの縫い目で「優しい結い目」と表現された事がお母様と離れていても忘れてなかったのだと
    KAOさんも甘えたかったでしょうに。でもお母様もあなたの事を1日たりとも忘れる事はなかったでしょうね。

    • KAO より:

      コメントありがとうございます✨

      まだ母とは会えていませんが、もし会えたら
      沢山話したいことがあります✨
      その日まで私も健康で頑張ります✨

  11. 川畑 まりこ より:

    心が動かされる 文章でした。
    最後は認知症で心の通う話が出来なかった私の母を思い、泣けました。もっと優しくしとけば、良かった。後悔ばかりですが、日々母を思い、感謝の気持ちを届けて行きます。

    • KAO より:

      コメントありがとうございます✨

      お母様、認知症だったのですね。
      きっとお空から見守ってらっしゃいますね☺️

      私も後悔の無い様に生きようと思います!

  12. みどり より:

    文章を読んでいて最後に自然と涙が出て来ました。
    文章を読んでその情景が見えて来たのです。
    まるでドラマを文章で見てるかの様でした。
    久し振りに胸が熱くなりました。
    亡き母を思い出させて頂きました。
    ありがとうございました。

    • KAO より:

      コメントありがとうございます✨

      私の話でお母様を思い出して頂けたとの事、とても嬉しく思います。
      私も母とは最期の別れになったかもしれませんが、もしも会えたのなら、大切な事を伝えようと思います✨

  13. wakana より:

    読んでいて胸が苦しく、そして熱くなるお話でした。
    大好きなお母さんに対して、悪者にならなきゃいけなかったのはとても辛かったと思います。
    辛い辛い優しい嘘ですね。
    ご病気になっても、遠い沖縄から北海道まで会いに来た事に『離れていても想いあっていたんだなあ』と、とても感動しました。

    • KAO より:

      コメントありがとうございます✨

      あの日は本当に驚きました☺️こうして何年も経ち、母の気持ちを想うと本当に胸が痛くなります
      今でも母は、私に会いたいと思ってくれているでしょうかね。

      信じてその日を待とうと思います✨

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