IWrite 秋のエッセイ公募2026
IWrite 秋のエッセイ公募2026
🥉 第3位

20年分の指紋

ながれカッパ
私は何にでもカバーをする女だ。
携帯を買えば、その日のうちに画面にフィルムを貼る。新車の座席についているビニールも、許されるならしばらく外したくない。テレビのリモコンは数字が薄くならないようサランラップで包む。
ウレタン加工をしていない木のテーブルなど、私にとっては観賞用に近い。コップの輪染みがつくくらいなら、せっかくの木目もタオルで覆ってしまう。

嫌いな四字熟語は「経年劣化」である。

そんな私に、友人がある日ブリキの茶筒をプレゼントしてくれた。
「これ、使えば使うほど味が出るんだって」
受け取った茶筒は銀色に光っていて、表面には私の顔が映った。
なんてきれい。

そう思って持ち上げた瞬間、指紋がついた。
ヒィー。
心の中で叫んだ。
たった一度持っただけなのに。こんなものを毎日触っていたら、どうなるのだ。

曇る。傷がつく。色が変わる。
「味が出る」なんて言い方をしているが、私に言わせれば、それは劣化である。
できることなら白手袋をして扱いたかった。
けれど、我が家では朝食と夕食のあとにお茶を飲む。

つまり、一日最低二回。
一年で七百三十回。
十年で七千三百回。

数字にすると、ますます恐ろしい。
最初のうちは、茶筒を触るたびに布で磨いた。
蓋を開ける。茶葉を取る。蓋を閉める。磨く。
ほとんど茶道具というより貴金属である。
ところが、そのうち子どもが生まれた。

朝は牛乳がこぼれ、夜は味噌汁がこぼれた。
「靴下は?」「体操服出して」「明日、習字で筆がいる」
知らない。今言うな。

茶筒の指紋どころではない。いつからか、私は磨かなくなった。
曇っていても、そのまま戸棚に戻した。
小さな傷を見つけても、見なかったことにした。

そして先日、ふと気がついた。あれから二十年経っている。茶筒を手に取ってみた。
もう、私の顔は映らなかった。
あんなにぴかぴかだった銀色は少しくすみ、ところどころ色が変わり、細かな傷が無数についている。
二十年前の私が見たら、卒倒するかもしれない。
なのに私は、それをずいぶんきれいだと思った。新品のときよりも、きれいだと思った。
不思議だった。
傷を一本ずつ覚えているわけではない。

この曇りは長男が生まれた年についた、とか、このへこみは娘が小学校に入った日のものだとか、そんな都合のいい物語はない。
ただ毎日触っていただけだ。

朝ご飯のあと。夕飯のあと。
機嫌のいい日も、悪い日も。
子どもを叱ったあとも、誰かが笑っていた日も。
特別でもなんでもない日々の中で、少しずつ光を失っていった。
私は昔から、変わることが嫌いだったのかもしれない。
きれいなものは、きれいなまま。
新しいものは、新しいまま。
大切なものほど、変わらずにいてほしい。

けれど二十年経った茶筒を見ていると、それは少し違うのかもしれないと思う。
変わらなかったものだけが、大切なのではない。
毎日触って、使って、少しずつ形を変えたからこそ、大切になるものもある。
友人の言った「使うほど味が出る」という言葉を、私は二十年かけてようやく理解した。

もっとも、だからといって私は改心したわけではない。
携帯には今もフィルムを貼る。新しいリモコンを買えば、たぶんまたラップを巻く。
木のテーブルに濡れたコップを直接置かれたら、今でも声が出る。

それでも、茶筒だけは磨かない。
今日も指紋をつけたまま、戸棚にしまう。
明日の朝には、また誰かが蓋を開ける。
そうやって少しずつ変わっていく。

以前の私なら、それを「経年劣化」と呼んだ。
今ならもう少し、きれいな名前を知っている

うつろい

審査コメント

気がついたら、変わっている。日々の積み重ねのなかで、色づいている。

そんな今回のテーマ「移ろい」が、独自の感性で見事に表現された作品でした。

特に印象的だったのは、筆者自身が何かをきっかけに劇的に変わったわけではないことです。

結婚、妊娠、出産、育児。女性の人生に訪れるさまざまな出来事を経験し、自分でも気が付かないうちに変わっていく。

そんな人生の積み重ねにある「移ろい」を、ながれカッパさんの自然な語り口から、私たちも一緒に発見できました。

20年分の指紋のように、読むほどに味わい深くなる作品です。

ながれカッパさん、おめでとうございます!

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