

お風呂が綺麗な家は良い家だ
その日は夏の終わりで台風が来ており、ジメジメしていて一日中雨だった。
「えっ!いいね、湯船したい」
娘は喜んで賛成し、下の子は「これ、入れたい」と友だちからお土産でもらったという草津の湯の袋を持ち出してきた。小学生の割には渋いお土産だな……そう思ってそれを眺めていると、
「私がお風呂掃除するね!稼ぎたいから」
娘は友だちが多く、月のお小遣いをすぐに消費してしまうタイプなので毎日コツコツ家事をして小銭を稼いでいた。
「でも久しぶりの湯船だからかなり擦らないとだし、大変だよ?」
「大丈夫!大変だから200円ね!」
稼げると喜んで風呂掃除へ向かう娘。
私は──ドロドロの湯船を思い出していた。
私が中学生の頃、家はめちゃくちゃだった。父の借金が再び発覚し、毎晩ひたすら問いただす母と、ほぼ聞き取れない父の一方通行な夫婦喧嘩の声が階下から聞こえていた。長女の私は下の弟二人と同じ子供部屋に押し込められており、ギーギーうるさい黒いパイプベッドの上で毎晩耳を澄ませていた。今さら始まったことでもなく、この両親は頼れないと子ども心に分かっていた。年の近い弟が二人もいるのに、母は私が物心ついた頃からすでに働いていた。幼稚園の時からしっかりし、大人びたおとなしい子として、私はみなが踊る『たけのこ体操』をくだらないなと思って見ていた。母は頼る親もおらず、今で言うところの超ハードモードワンオペ育児であった。父は毎晩帰ってきたら風呂に入り、椅子に座ったきりで、つまみを出してもらって酒を飲んでいるだけ……。
私は小さい頃からずっと弟たちの監視役として、蚊取り線香の火で遊ぶ弟たちをたしなめ、鼻血を出せば世話をし、弟同士が喧嘩をすれば仲裁していた。そしていつしか──うちの風呂は、湯船が洗われることがなくなった。母の忙しさとストレスは限界であったようだが、私も弟たちも限界だった。みな自分のことで精一杯で、真ん中の弟は小学校で暴れ狂い、一番下の弟はひょうきんキャラで生き延びていた。私は勉強のできる真面目女子中学生として寡黙に過ごし、家では疲れ切っていた。
湯船の上にのった風呂の蓋をクルクルと巻いて開ける。このお湯何回、追い焚きしてんだろ……ドロドロの緑のお湯を見ていた。バスクリンの緑……そのお湯を追い焚きすると発生するあの臭い……バスクリン入れたから二日目もオッケー!のわけないんだわ……表面だけが熱くなったお湯をかき回すための、扇風機の羽根みたいなのが先についた謎の棒が風呂の窓の桟に上下逆さに引っ掛かっていた。──洗うか。私が洗うしかないか。綺麗なお湯に浸かるためには洗うしかない。緑のお湯の栓を抜き、スポンジを持って銀色の湯船をゴシゴシと擦る。ヌルヌルが取れるまで時間がかかった。
中学生ならそれくらいやればいい、そう思う人は幸せな人だ。小さい頃から「あんたはお手伝い全然しない」「なんで女の子なのに何にも手伝わないの」と私だけにお手伝いを押し付け、文句ばかりで感謝のない母に嫌気が差していた。男を立てて女は台所──古い地域特有の呪縛。
「お母さーん、触ってキュッキュッてなるまで洗えばいいよね?」
娘が良く通る声で聞く。
「いいよ〜」
ゴロゴロしながら答える私。
「ちゃんと栓した?」
「したよ〜。一番に入るね!」
「もちろん良いよ、ありがとうね。助かったよ。はい、200円」
『──お風呂が沸きました』
自分で洗った一番風呂に入るのは気持ちが良い。だけどあの頃の私に、そんな気持ちは一ミリも湧いていなかった。このあと私が洗った風呂に感謝も述べずにみんな勝手に入るんだろうな……クソがっ。心が狭いが本当にそう思っていた。入り終わったあとに栓を抜いてやろうかとも思ったが、借金がある家でそんなもったいないことも出来ない気がしていた。このお湯もまた栓を抜かれることもなく洗われることもないと思うと、無性に腹立たしく悲しかった。せめてありがとうがあれば……
「はぁ〜気持ちよかった〜。いつもお母さん最後で可哀想。次は一番に入っていいよ」
娘の優しさが身に染みた。私は最後の風呂でも一番風呂でもどっちでも……いまは嬉しい。君たちがいるから──中学生の自分に向けてつぶやいた。あの頃の私の魂は浄化され、謎の風呂かき混ぜ棒と共に天に召された。
「次ほら、草津の湯、入れるんでしょ!」
一番下の子を見ると、スヤスヤ寝ていた……いや、早く風呂入れー!下の子を起こす。寝ぼけまなこで草津の湯を握りしめ風呂場へ向かう子は、かわいい。私も最後に草津の白いお湯に浸かった。綺麗なお風呂は泣けて──心から温まった。
審査コメント
「一体どんな話だろう?」と好奇心をかき立てられ読み始めると、タイトルからはまったく想像できない展開となり、一気に読み終えてしまいました。
印象的だったのは、北影さんの筆力の高さです。
エッセイは、描く時間軸が長くなればなるほど、難易度が上がります。内容が複雑になるとなおさらです。
しかし北影さんは、幼少期から現在に至るまでの複雑な人生の「移ろい」を、「お風呂」という一つの軸でもって巧みに描き切りました。
タイトルの意味も回収され、読み手に深い納得感を与える構成も見事。
「お風呂が綺麗な家は良い家だ」
私たちも、心からそう思わされました。
北影さん、おめでとうございます!