WOMANエッセイアワード2026
WOMANエッセイアワード2026
💝 人柄が光る作品

心を動かすエッセイに欠かせないのは、
その向こう側にいる『人』が見えてくること。

どんな出来事があったのかだけではなく、
その人が何を感じ、
どんな価値観を持ち、
どう生きてきたのか。

そんな「その人自身」が伝わってきて、
思わず一緒に泣き笑いしてしまう作品をご紹介します。

 

作品一覧

命懸け

SAKURA
 「あのさ…あのー…他に好きな子が出来てさ。」

 振られるより振る方が辛い、という人がいるが、振られる方が辛いに決まっている。
何の疑いもなくそこにいた私はその時
茫然としていたのを覚えている。
好きな子が出来たと言われたら何も言えない。終わってしまった…胸の真ん中がポッカリ穴が開いたようだった。

ショック過ぎて涙も出なかった。

 そうだ友達に報告しなくては!
なぜか携帯で電話をしまくり、ビックリして慰めてくれる友達に明るく大丈夫大丈夫と答えていた。
 友達は心配してくれて私をあちこちに遊びに連れ出してくれた。友達といると楽しかったし、何よりその忙しさがありがたかった。

友達とも別れて自宅に帰って1人になると
どうしても彼とのことが頭に浮かぶ。

まだ好きなんだから当たり前だ。
でも彼の中にはもう私はいないんだ。
現実を受け入れられない日々が続いた。
友達といても仕事をしてても思い出してしまう。
とにかく彼のことを考えないようにできないものか。無理矢理にでも…

閃いた。

次の週末私はそれを実行に移す。
確認を繰り返す。ハンドルを握り、恐る恐るアクセルを踏む。車はゆっくり前進してくれた。

大丈夫、大丈夫、ヨシ行くよ!

それまで乗らずにいたわけだから
何もかもが必死なわけで大袈裟でないくらい
命懸けだった。
今みたいにナビも無い地図しかない時代だったし、私は方向音痴なのだ。
東西南北も怪しいし来た道を帰ることすら難しい。
かろうじて携帯電話があったと思うが
使う余裕なんてなかった。
信号が赤になった途端に地図を見つめては走る、いつの間にかどこを走ってるのか自分でもわからない、なぜか目的地から遠ざかっていく、車線変更をするのに10分かかる、等いろいろあった。

30分で到着するはずの友達の家に3時間かかったこともあった。友達に本気で心配される。
左折が中々出来ずひたすら直進し、行きたく無い場所に向かってしまうことも多々あった。
暴走族の集会走りにどういうわけか入り込んでしまい、そっと脱出したことも。お陰で彼の事を思う余裕もなく、運転中は必死であった。
そんな日々を続けていくと、いつの間にか運転も慣れ、東西南北も理解でき、迷ってもUターンするということも出来るようになって
高速に乗って遠距離運転することも増えた。
裏道というのも覚え、主要道路は通らない。行動範囲も広がってどこに行くにも車で行くようになっていた。

彼との思い出もうっすら程度になって
時が解決してくれる、というのに納得する。
結局新しい彼が出来て、完全に切り替わることになる。やはり命懸けのチャレンジより
新しい恋をするのが一番だった。

でも、この期間に運転を習得したことは自分の中ではかなり大きかった。状況が悲惨ではあったものの自信が持てなかった自分に
やれば出来るんだという思いが生まれたのだ。側から見たら何て事ないことだろう。
でも、私にとってはまさに人生が変わった瞬間だったのだ。
この時の頑張りと自信を力にその後の私の人生は大きく変わったと思っている。
なんなら振ってくれてありがとうとも言いたいくらいである。それからの私はいかなるピンチも受け止め、どうにか踏ん張れる人間になった。
おかげで更に人生を変えていく瞬間にも立ち会えている。
もう二度とあの振られる衝撃は浴びたくないが。そうならないよう私をもらってくれた主人を大事にしなくては、と思う日々である。

VIP出産

ユーミーママ
 人生初の出産は、まさに未知との遭遇だった。
いつ生まれてきてもいい時期になって、私は毎日そわそわしていた。「今日産まれそう」と何の根拠もないのに、毎朝夫にそう言っていた。それを律儀に信じる夫は「もし病院に行くようになれば、電話して」と言って仕事に出掛けて行った。流石に一週間を過ぎたあたりから「はいはい、いつものやつね」と声には出さぬものの、そんな表情をするようになった。10日もすると、「オレオレ詐欺」ならぬ「産む産む詐欺」と揶揄されるようになった。
 その詐欺師は、ご丁寧に病院にも詐欺を働くことになる。お腹の張り(痛み)が続いていると病院に電話し、飛び入りの診察をしてもらったのだ。予約している妊婦を差し置き、詐欺師は「お先に産んできます」と言わんばかりに、先輩面でお腹を抑え、診察室に入った。
 「まだですね」とあっさり見破られ、診察室から出た。私の母親が待合室にいた。「まだ産まれないのに何できたの?来なくていいと言ったのに」と自分は悪くないと言わんばかりだった。詐欺師の常套句「騙すつもりはなかった」と平然と言う、あれと同じだった。家に帰ると、もう1人の被害者がいた。「産む産む詐欺」と私を詐欺師に任命した夫がいた。テーブルには食べ損ねた未開封の弁当が、ナイロン袋に入ったまま置かれていた。詐欺と見破っていたはずだったのに、騙されていたのだ。「私は詐欺に合わない」という人ほど、詐欺にあいやすいというのは、あながち間違っていない、とそのとき思った。私の姿を見て、全てを察し、ナイロン袋からお弁当を取り出し、冷めた弁当を食べていた。仕事を休ませてしまったこと、お昼ご飯も食べずに心配させていたことを反省した。当の本人は、詐欺のつもりは全くなく、常に真剣であった。本気で産まれるかもと思っていたのだ。しかし、なぜかそのとき、もう詐欺はやめようと心に誓ったのだった。
 本当に陣痛が来たときには「あのときのようにみんなに迷惑かけないかな」と心配で痛みを我慢した。我慢し過ぎて、病院に行ったときには、すぐに分娩室に通された。助産師に「あと数時間で産まれる」と言われた。ああ、それまでこの痛みを我慢すればいいと、時計を見ながら痛みと戦った。実際は、それより6時間以上戦うことになるのだが。痛みが頂点に達したとき、横の夫が分娩室にあった大きなうちわで私をあおいでくれた。よくよく見ると、松本潤のライブグッズのうちわだった。私の出産を笑顔で応援してくれる人がいる。しかも、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いのトップアイドル。ライブに行こうと友達とチケットを予約しようとしたが取れず、取れた飛行機のチケットで、国立競技場まで行き、外に漏れる歌声を涙を流して聴いた、あの私の憧れだった松潤だ。競技場の隣のビルがガラス張りで、反射して見える松潤を一眼見ようと、小高い岩に長者の列ができるほど素敵な松潤だ。田舎の街の産婦人科の分娩室で、出産しようとしている一般人の出産が、一気にVIP出産になった。味わったことのない、痛みだったが、私のすぐ横で笑顔で応援してくれるあの松潤のために、頑張ろうと決めた。
 数時間後、笑顔のまま、さわやかな風を送る松潤の横で、私はボロボロだった。なかなか出てこないため、さすがに疲れ果て「体力の限界です」と叫んだ。さながら横綱の引退会見だ。そこで急きょ、医療措置が必要になった。松潤(を持ってあおいでくれていた夫)は、分娩室から外に出された。医療行為になったら、医療関係以外は、いてはならないきまりらしい。私と松潤はここでお別れとなった。
 産まれた。産まれたばかりの命を見ようと、頭もとに置いたメガネを探した。ない。メガネメガネ、とさながら往年の漫才師のようにメガネを探した。どこを探してもない。結局、私はぼやっとした、息子らしき塊を抱きしめるという初対面を果たした。
少しして、夫が部屋に入れるようになった。もう、松潤はいなくなっていた。松潤を持っていた夫のその手には、メガネが握り締められていた。急に医療処置になって分娩室から追い出されるように出た夫は、気が動転して、あろうことか、私のメガネを手に取り、部屋を後にしたのだった。メガネメガネでは見つかるはずはない。
こうして私の出産は終わった。忘れられない日となった。

火がくれたもの

武井左 裕加里
 2024年にオーストラリア人の彼と入籍し、オーストラリアへ移住した。2025年に結婚式を挙げ、その2か月後に家が火事になった。ほぼ全てが燃えた。寝室からの発火だったこともあり、私たちの思い出の品々は灰と化した。
 次の日から、掘り出し作業が始まった。使えるものはいくつかあったが、どれも真っ黒で焦げ臭い。顔も服もすすだらけになった。時間はあっという間に過ぎる。食事も忘れて作業した。
 夕方、近くのショッピングセンターへ食料品を買いに行ったときのこと。隣を歩く主人の姿がふと目に入った。八の字に下がった眉、ぺちゃんこのお腹、元々の彫り深い顔にすすがかかり、より濃さを増した彫刻のような顔、穴の空いたぼろぼろの服…。私もきっと彼に近い容姿だったのだろうと思う。お店ですれ違う人の何人もが、私たちに異様な目線を向けていたのを覚えている。ところが、何と清々しい気分なのだろうか。全く恥ずかしくないではないか。それどころか、どこか誇らしかったのだ。「私たちは昨日火事にあったの!だけど夫婦で一致団結して、できることを1つ1つやっているのよ!」と。みすぼらしい格好をしているのはわかっている。だから何だと言うのだ。未だかつてないほど堂々と胸を張って歩く自分がいた。あのときの感情は最高だった。プロポーズされたとき以上かもしれない…とは口が裂けても主人には言えないが。おしゃれな服や靴、高級なバックに指輪、豪華なディナー…そういったものは、私の性に合わないのだろうと思う。この人さえいれば、十分すぎるほど幸せだと心から思った。
 地震雷火事親父。恐いものランキング第3位の火事に遭遇した私たち。だが、いつの間にかそれは、幸せ探しの旅になっていた。「人生のよき伴侶とは、喜びを2倍にし、悲しみを半分にしてくれる人である。」高校の卒業式での校長先生の言葉を思い出す。
 10年以上も想い続けた人がいた。あの人ともしも結婚していたら、どうだっただろうか。こんなふうにできただろうか。すっぴんすら見せられない人だった。好きになってもらいたくて、背伸びして、かっこつけてばかりの自分だった。こういった幸せは味わえなかったかもしれない。
 20代の頃、絵本を描こうとしたことがある。冬山に私と男の人が取り残される物語。ある男の人は、「お前のせいでこうなった」と私を責め立てた。またある人は、「大丈夫?あれをやってあげようか?これをやってあげようか?」と私をお姫様のように扱ってくれた。最後の人は、何も言わず、ただ私のそばにいて、一緒に寒さを耐え忍んでくれる人だった。私が将来、人生のパートナーとして選びたいのは…。あのときの自分の答えは、今も変わっていない。何があっても一緒にいてくれる人。口下手でちょっと不器用な人。
 私の体調が優れない日や、私に何かつらいことがあったとき、主人はいつもさらりとこう言う。「僕の会社においで。スペシャルハグをあげるよ」と。そのときの、彼の自信に満ちた少年のように輝く目が好きなのだが。「魔法使いみたいだね」と私が言うと、「忘れたのかい?僕は君のヒーローだよ」と。
 この文章を書き終えたら、今日は私がハグをしに行こう。何だか急に会いたくなってきたから。あ、その前に彼の大好きなチョコレートをお店で買わなくちゃ。今日は半額ではなくてもいいから、彼の1番好きなチョコレートを買おう。それと、カフェでラージサイズのモカも忘れずに。

柊かおる
 「ぎゅっ。」「ぎゅっ。」「ぎゅっ。ぎゅっ。」「ぎゅっ。」‥‥
 ランドセルを得意気に見せる孫を見ながら私はふと思い出した。
 
 孫を預かっていて、お昼ご飯を食べさせようとした時の事だ。確か孫がまだ2歳前後の頃。麺が好きだという事で簡単に出来る、ちょっとした野菜と一緒に煮込んだだけのうどんを作った。そして麦茶を出してそろそろ戴こうとした時。コップを持って歩き出そうとする孫を、溢れちゃうよ、危ないから、などと声を掛けて制した。
 麦茶が嫌なのかと思い、りんごジュースをコップに注いでみた。どうやら検討違いだったようで、尚も「ぎゅっ。」と訴えている。次第に涙目になってきた。ごめんごめん、と両手を広げて「ぎゅう〜。」と言って抱きしめてみた。今度は地団駄まで踏んでいる。これもまたお門違いだったようだ。ぎゅっと手を握り、拳まで作って「ぎゅっ。」と言い続けている。地団駄って今の子も踏むんだな、今も昔も変わらないな、なんて呑気な事を考えたりもしたが困ってしまった。
 握り拳!あれだぁ。孫の握った手を見て閃いた。にっこにっこの作り笑顔で、手を握ってトントンしながら歌ってみた。
「とんとんトントンこぶ爺さん。とんとんトントンひげ爺さん‥‥キラッキラッキラッキラ手はおひざ。いただきます。」どうだ!ちょっと涙が引っ込んできた。もうひと息。
「手を叩きましょう。トントン。トントン‥‥」年甲斐もなく大きな身振り手振りで頑張った。もう一丁。
「グーチョキパーで何作ろう?何作ろう?右手はグーで左手はチョキでカタツムリ。カタツムリ。」
 納得したようで孫はテーブルの席にゆっくりと歩き出したので、内心私はガッツポーズをして、鼻息混じりでこっちは3人の子育てをしてきたプロじゃ、ちょろいチョロイと思った。

 夜、娘が帰って来て、昼間の出来事を得意気に話して聞かせた。
「あー牛乳だね、それ。」鼻で笑いながら娘は言った。
「へっ⁈」牛乳の事は『にゅうにゅう』って言ってたじゃないか。ギュウニュウを言えなくてニュウニュウと言うのを、可愛いねって何度も牛乳と言わせていたのはついこの間の事だったじゃないか。
 どうやら最近『ぎゅ』と言うようになったらしい。『ぎゅうにゅう』は長くて覚えられないのでまずは『ぎゅ』から始める事にしたそうだ。私は昼間の得意気な自分を恥じた。今更だが、子供ながらに諦めてテーブルに向かったのを可哀想に感じた。

 その孫も今ではちゃんと『ぎゅうにゅう』と言えるようになり、今年卒園式を迎えた。お喋りでちょっと生意気で妹の面倒をよく見るお姉さんで、4月には小学生。ジィちゃんに買ってもらったランドセルを嬉しそうに背負って見せる姿は、あの時の私と同じ得意気だ。
 
 私は10年前に離婚を経験した。この世の終わりのような日々。あの時あぁしてればこうしてればと、何度も涙を流した。後悔したら前に進めないと言う夫に、私が死んだら後悔してくれるのではないかと思った事さえあった。
 仕事は投げやりになり辞めてしまい、人間関係に疑問を感じ、善意にさえも無力な自分を確認するようで絶望してしまっていた。テレビを見て笑う自分を俯瞰して、まだ笑えるんだと冷静になる。友人との笑い話もふと我に返ってしまう。そんな自分がとても嫌いで。
 でもそれだけではない10年が私にもあった。3人の子ども達が就職し結婚もした。最後に結婚していった長女は、私が1人になることを心配して、同棲を躊躇したことがあった。いつかはみんな結婚して出て行くのだから同棲でも何でもしてと見送り、その1年後に結婚した。とても優しい娘に育ってくれた。長男は私が離婚をしてから頼もしくなった。時に旦那かよ、と思う程に説教をしてきて喧嘩もした。それも今では心配してくれていたんだと思える。二女は孫を連れてよく遊びに来てくれる。まぁ、私の事はお財布とでも思っているのだろうが、孫の成長も幼稚園の行事も生活に張りを与えてくれる。そしてその孫はこんな事を思わせてくれる。

 牛乳を「ぎゅっ」としか言えなかった子が、もう立派な小学生かぁ。本当に早いなぁ。これから笑ったり泣いたり友達と喧嘩したり、いろんな事があるんだろうな。沢山のワクワクドキドキが待っているなんて楽しみね。‥‥。‥‥私もか。私にだってこれからいろんな事があるに違いない。今みたいに何気ない日常がクスッとした彩りをくれている。

 外は今年早咲きの桜が咲き出している。私は訪れる春に少しワクワクドキドキした。

“嫌い”がほどいてくれた夜

たま
高校の頃、テンション高めでおどけてみせたり、自虐ネタを言って笑わせるような子だった。

天然ボケだね!変だけど面白いね!とみんなが笑ってくれた。
そんな友だちの反応が嬉しくて誇らしい気分でいたものだ。

そんなある日…
世界がオレンジ色に染まる夕暮れ時。

賑やかな声がこだまするサッカーグラウンド。カッキーンと響くバット音。校舎から聞こえてくる吹奏楽の音色。

私は部活を終え、テニスラケットを抱えながら部室小屋に向かっていた。

一緒に歩いていた友人二人が、なにやらコソコソと神妙な雰囲気。

少し気になりながら、カンカンカンと足音を立てて、三人で二階へ上がっていく。

テニス部と書いてあるドアを開けると、部室はほとんど薄暗くなっていた。

最後に入った子がドアを閉めると、部屋の電気もつけずに、ほどなく口を開く。

彼女は意を決したように、でも、言いにくそうに。
「あのね…」「うん」
「あの…Mちゃんがね…」
「うん」
「Mちゃんが、昨日私たちに言ってきたんだよ。」

「『H、変じゃない?!もう、なんかムカつくし、イライラする!ほんと、嫌い!あの子、なんとかして!!』って…」

「それで、二人で話したんだけどね、『なんで仲がいいって知ってる私たちに、突然言ってきたんだろうね?!ほんと、腹が立つよね?!』って。」

「うちらは、Hの味方だからね!」
「ほんと、M、腹が立つ!」

その言葉に、頭が真っ白になった。

ドクンドクンと耳元で心臓の音が大きく響く。
頭を強打された感じ。

いつの間にか点いていた、運動場の夜間照明が、四角い窓から部屋を照らしいっそう影が濃く見える。

返す言葉が見つからず、ただただ立ち尽くしていた。

汗と土ぼこりのにおいのする部屋で。
小刻みに震えながら…。

それでもなんとか着替えを済ませ外に出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。

三人で帰る道すがら。
友人たちは相変わらず「私たちはあなたの味方だからね。」と、Mのことを怒りながら話している。

それにも答えず自転車をこいだ。

少し色づいた街路樹を揺らす風が、火照った頬をひんやりと撫でる。

彼女たちと別れ、川沿いの坂道を自転車を押して歩く。
山沿いから出たばかりの月がアスファルトを照らしていた。

「ただいま」と玄関を開け、母に心の内を悟られぬよう、元気を装い着替えを済ませると、ブラウン管から流れる映像を熱心に見るフリをしながら夕飯を食べた。

浴室に行き、顎の下ギリギリまで湯船に沈みこむ。
心の痛みを包み込むように。

「そっか、嫌われたのか…私。」

小中学生の頃から八方美人だった。

低学年のころは、いつも強めの子と友だちだった。
いや、友だちだったのか?

嫌と言えないから、言われるがままに言うことを聞いていただけ。

ただ、あの子を怒らせないために。

それでも、中学年ぐらいから、徐々に似たような雰囲気の友だちができはじめた。

でも、家でふと不安になる。
「嫌われてないかな?」

その頃「四角い小さな教室」がすべてだったから。
そこで嫌われたら世界の終わりだと思っていた。

教室の隅に集まる女子たち。
「ねぇねぇ聞いてー!○○ちゃんが嫌なことをしてきた!」
「それダメよね!」
「イヤなやつー!」

そんな悪口をよく聞いていた。
そのうち一緒に言うようになった。
矛先が向かないように。

小学生の小さな世界。
でも、私にとっては大きな日常。

ここで生きていくために。
「ノー」は、言えない。
友だちの顔色を伺う。
休憩時間のトイレも一緒に行く。
好きなこともみんなと一緒にする。
グループからはみ出さないように。
クラスで浮かないために。

嫌われるのが怖い。
悪口を言われたくない。

中学生のころだったか、
「自分が嫌うと不思議と相手もわかるもんよ。向こうからも嫌われる。」
と大人が教えてくれた。

心は読まれるのかと、不気味に感じた。
「じゃ、自分が嫌われないように、人を嫌わないようにしなくっちゃ。」
本当の気持ちを押し込めて。

そうやって「心を守る鎧」は、徐々に厚くなっていった。

それなのに、それなのに…
はじめて「嫌い」って言われてしまった。

ショックだった、すごく。
それまで、覆っていた鎧が大きな音を立ててガラガラと壊れていく感覚を覚えるくらい。

「嫌われることあるんだ、どんなにがんばったって。」

それより、傷口から流れ出る「嫌い」が止まらない。
ヘドロのようにドボドボと突き上げてくる。
いや、もう止めなくてもいい。

翌朝の賑やかな教室。真っ先に目に入ったMに向かう。今までならテンション高めにおどけていたが「おはよう」とクールに挨拶をした。

一瞬の意外そうな表情を見逃さなかった。

そうだ、この感じ。
彼女への「嫌い」をごまかし隠すように、必要以上におどけなくてもいいんだ。
ピエロみたいに。

どんなに厚いメイクを施しても、ぎこちない本心は隠せていなかったのか?
いつかの大人の言葉が頭をよぎった。

Mとは、公立小学校から高校を経て、短大まで一緒の学校だった。
ガハハと笑う、明るくて元気な子。
クラスの強い子たちのグループに引っ付いて、威勢を張っているように見えた。

そして、高校を卒業して十数年経ったころのこと。
この出来事を知らない中学時代からの友人が、こんなことを言ってくれた。

「中学のころは、何か自信がなさそうな子だなと思ってたんだけどね、急に変わったなと思ったことがあったよ。
高校のころだったかな?
堂々としたというか、強くなったというか。」

そう話す彼女の傍らで、真っ先に思い出すMさんの顔。

あの子のおかげだな。

飲んでいたコーヒーのせいだろうか?胸がじんわりと温かくなった。

あの日の頼りなく震えていた私。
汗と埃のにおいがする四角い小さな部屋。

そこから抜け出し外にでると、風がふっと心をほどいた。

歩く道を月が優しく照らしている。

自分のための、えいっ

yuki
何気なく開いたインスタに、目が止まった。

懐かしいソウルミュージック。
キラキラと回るミラーボール。

その中で、同世代か、それより少し上くらいの女性たちが、楽しそうに踊っている。
みんな、すごくいい顔をしていた。

「やってみたい」

気づけば、そんな言葉を心の中で飲み込むことに、すっかり慣れていた。

ある日、いつものようにインスタを開くと、新しいダンス教室のお知らせが流れてきた。
それは、自宅から通える場所だった。

「うそ…」

電車で行ける距離。
しかも、仕事が休みの日。
条件が、きれいに揃っていた。

「体験だけ行ってみて、決めればいいよね」

画面をスクロールしては戻る。

入力フォーム前で指が止まる。

残りわずか、の文字がチカチカと私を急かした。

ここで見送ったら、きっと後悔する。

そんな気持ちに背中を押されるようにして、「えいっ」と申し込みボタンを押した。

「申し込んじゃった……」

それからというもの、インスタを見返すたびにウキウキしていた。

あの迷いが、嘘みたいだった。

そして当日。
会場までの道に迷い、少しだけ息を切らしながら、ギリギリでたどり着いた。

少し息を整えて、ドアを開けた。
中からやわらかな笑い声が聞こえてきた。

「みなさん、ようこそ!」

先生の声に、肩がふっと下がる気がした。

出遅れた私は、空いている場所にそっと入った。

会場の照明が落ちて、音楽が流れ出す。

大音量のソウルミュージックに、一瞬だけ圧倒される。

(うわ~、本格的!)
(重低音がお腹に響く!こんな感覚久しぶり)

「じゃ、みなさん。レッツダンス!」
気づけばそのリズムに、自然と体が揺れていた。

先生のリズムの取り方、腰の動き、かけ声。

先生に見とれつつ、一生懸命真似をする。

―――ダンスって、楽しい。

鏡に映る自分は、ぎこちない動きでリズムを追いかけている。

けれど、ステップを踏むたびに身体の芯が熱くなっていく。

この感覚、いつぶりだろう。

隣にいた人と目が合う。

「楽しいね!」と声をかけてくれた。

その一言に、少しだけ肩の力が抜けた。

レッスンが終わって、じんわりかいた額の汗を抑えながら、まわりを見渡した。

集まっていたのは、たぶん、少し年上の人たちだった。

でも、そのどの人も、驚くほどいきいきとしていて、自然と目がいく。

「来てよかった!楽しかったね」

今日は体験だけ……と思っていた私もちゃっかり申し込みを済ませていた。

帰り道、そのままの流れで「少しお茶でも」となった。

「どこから来たの?」

「先生、ステキだったね!」

気づけばコーヒーカップも空っぽになっていた。

駅からの帰り道。

さっきまでの重低音が、まだ耳に残っている。

明日からの毎日が、ほんの少しだけ軽やかに動き出しそうな気がした。

自分のための「えいっ」は、こんなにも、じんわりあたたかい。

元親友の結婚報告

松浦
「お久しぶり!元気ですか!
急なんだけどご報告です
去年の12月に入籍しました
8月15日にで結婚式をやる予定で、絶対来てほしいと思って連絡しました!
来れそうか分かったら連絡ください」

仕事から帰って、ご飯を食べて、お風呂も入らずダラダラと携帯をいじっているところに、元親友からLINEがきた。

「えっ……痩せなきゃ…」
ふと声にでていた。

隣でダラダラしている彼氏から
「え?なんて?」と疑問の声があがった。

「えっと、、なみさんが、結婚式するから来て欲しいって連絡があって……。」

「へぇー、行くってことね。」といつも通り微笑浮かべながら鼻を鳴らす。
「うん。行くことは確定してる。ただ、このままではいけないよね…」

ここ最近、第一次結婚ラッシュがきてるなと感じていたが、ついに元親友もか、、と衝撃を受けた。

まあ、そうだよな、あと5日すれば新年度。
26の歳になるのだから。みんな結婚もするよな。

元親友というのも、約2年ほど会っていなかったからだ。連絡もお互いの誕生日に簡単なメッセージを送るだけの関係。敢えて会うのを避けていた。というのもある。そうして、会っていない期間で体重は15kg以上増えてしまっていた。

「何の感情?どうしたの?」

気づけば涙が流れていた。
「いや、わかんない。急にでてきた」
「感動?おめでとうって感じ?
それとも、先越されて悔しいって感じ?」

感情の起伏が激しい私に、慣れている彼は怒涛の質問攻めである。
そして的確に芯をくってくるところもさすがだ。

私は、今の彼氏とは大学で出会い、19歳の時に付き合い、2年前から同棲をしている。

周りからも長いねとよく言われる。もう7年目になる。
「うーん、まぁその気持ちもなくはないけど、このままの自分では会えないなって恥ずかしいなって思って。」

芯をくった質問にやすやすとYESというのも悔しいが、否定するのもむかつくため、本音を吐き出す。

なみさんは、いつも、すごく、ちゃんとした人だ。

語彙力が全然ない私とは違い、小学生の頃から読書感想文では必ず賞をとっていたり、コツコツと努力を積み重ね、指定校推薦で大学に行き、教員採用試験を1発で合格し、中学校で教員として働いている。

服が好きでおしゃれで可愛くて、いつも私の先をいく人。大好きで、隣に立つにはしっかりメイクして恥ずかしいと思われないようにしなきゃ、相応しい人間でいなきゃと自分を奮い立たせてくれる人。

すごいな、何も敵わない…。

社会人1年目、仕事内容も合わず、周りの環境にも馴染めず、私は鬱病になり、休職したのち退職した。

そんな中でも、なみさんは私よりも厳しい環境で耐えて耐えて、頑張っていた。職種も違うし、比較できる訳ではないけど、話を聞いているだけで私には、耐えられそうになかった。

後ろめたかった。なみさんの隣に居られなかった。

また、もう旦那さんであるが、厳しい環境の中で支えになっていたのが教育係をしていた彼氏さんだったらしい。

鬱病を盾に会わないように避けていたけれど、結婚式はもう、行くしかないし行きたい。そして何より、絶対来て欲しいって言葉がすごく嬉しかった。

「痩せるぞ。絶対痩せて、なみさんの結婚式に行く。」
「えー。続くかな?」
「今回は期限がきっちり決まってるから!
あと約4ヶ月、死ぬ気で痩せる。」

何度もダイエット宣言をしては失敗を繰り返す私に、信用は全くの0。だが、今回は違う。

「ねえ、私体重何kgに見える?」
「72ぐらい?」
「何言ってるの、全然違うよ!
80以上あるよ!!」

同棲する少し前に転職をして、新卒で勤めた会社よりも年数を刻むことが出来ている。

辞めずに頑張ってる私すごい!偉い!と仕事をしていることを盾に、食欲の赴くままにご飯をやお菓子を食べていたら、医者に、痩せなさい。と言われるくらいまで太ってしまった。

クレジットカードや携帯の暗証番号などシークレットであるべき部分も彼に秘密にしていなかった私が、唯一秘密にしていた体重を暴露した。

「体重目の前で測ってあげるよ。」
ガサガサと奥にしまい込んでいた体重計を取り出し、服も脱がずそのまま、体重計に乗る。
「ほら、81.4kg」
「うわ、やばいね、、俺も乗る!」
ドン引きしながらも、自分の体重も気になるらしい。
「飯食ったから60超えてるわー」
彼の体重は60.2kg。身長170㎝で標準の範囲内。
羨ましい…。

「そんで?何kg痩せるの?」
「約4ヶ月だからね、現実的に標準体重にするのは難しそうだから、うーん60kgくらい?」

私の身長は156㎝であるため標準体重は54kgだが、さすがに難しいように思えた。

「無理だよ!絶対無理」
「うっ、、絶対痩せる、、痩せてなみさんの結婚式に行く。」
またもや泣いている。
ただ、この涙は覚悟を決めた涙である。

それでも彼は、私の覚悟に、全く左右されず無理と決めつけ続けた。
ついにむかついた私は
「じゃあ、60kgまで痩せたら結婚して!」
最悪な逆プロポーズである。

売り言葉に買い言葉なのか
「いいよ。絶対無理だから。」
と承諾の言葉が返ってきた。

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まだ、この宣言から3週間ほどしか経っていない。まだ5kgしか痩せていないし、何も変わっていない。

けれど26歳になる1年。周りは第一次結婚ラッシュ。自分は彼氏はいるけれども相手は全く結婚願望を持っていない。別れるかもしれない。一生結婚できないかもしれない。

色々不安はあるが
今の自分を変えるしかない。
元親友からのメッセージは間違いなく
「私の人生が変わった瞬間」である。

元親友から親友に戻れるように、これからも走り続けたい。

みんなって誰だよ!?と思った日

れいこ
「ごめん。だけど私も娘ちゃんたちと同意見かも。だって、前は、あごがもっとシュッとしててさ、もっと可愛かったよ」

2021年3月。

いわゆるコロナ禍だったある夜、イタリアンレストランで友人Kちゃんにそう言われた。

彼女の発言は、私にとって、その日2つ目の衝撃だった。

直球な言葉が、胸をぐさりと刺す。

でも、そのおかげで私は静かに覚悟を決めることができた。
「やっぱり、もう逃げてる場合じゃない!」と。

⏤時計の針を少し戻す。

1つめの衝撃を受けたのは、その日の昼間のことだった。

数年ぶりに受けた健康診断。
体重計が示した数字は、妊娠時とほぼ同じだった。

あまりの衝撃に、思わず「やば……」と声が漏れる。

すると、スタッフさんが優しく声をかけてくれた。

「全然大丈夫ですよ〜。コロナ禍だから仕方ないですよね!
皆さん平均5キロは増えてるらしいです」

きっと優しい人なんだろう。
けれど、私はその言葉に無性に腹が立った。

私の体重は、全然大丈夫じゃないこと。
それは自分が一番わかっている。

大丈夫ってなんなの!?
みんなも増えてる?

そもそも、みんなって誰だよ!?

もちろん文句は心の中にとどめ、その場は笑ってごまかした。

でも「みんな」にまとめられたこと、優しく慰められたことに、すごくモヤモヤした気持ちだった。

数時間後。
モヤモヤを抱えたままKちゃんと会った私は、冗談めかしてこう言ってみた。

「最近、さらに太っちゃったんだけど、今日の検診で、衝撃の数字を見た。娘たちには『そのお尻、本当にやばい』『まじでダイエットして』なんて言われてるんだよ〜」

私は、心のどこかで「そんなことないよ〜」という優しい嘘が帰ってくることを期待していた。

ところが、Kちゃんは自分が本当に感じたことを真摯に伝えてくれたのだ。

あなたは、前は、もっと、可愛かったよ!と。

⏤この1年を振り返ってみた。

突然、未知のウィルスが蔓延し、『ステイホーム』が合言葉になった世界で、私は「食べること、飲むこと」に逃げ込んだ。

毎晩のようにお酒とおつまみを用意し、好きなだけ楽しむ。

仕事はリモートワーク。
家族以外と会わない日々が、私の油断に拍車をかけた。

着られる服が、だんだん減っていった。

恥を忍んで告白する。
その頃は、ファスナーが上がりきらないが、なんとか着られるパンツやスカートに、大きめのTシャツやセーターを被せるという方法で、毎日をしのいでいた。

でも、本当は「なんとか入る服」じゃなくて「好きな服」を着たかった。

ダイエットの決心もつかないけれど、大きなサイズの服を買うのも嫌という中途半端さが情けなかった。

鏡や写真を見るたびに、小さく失望する自分、でもなんでもないふうを装う自分を惨めに思っていた。

⏤Kちゃんの発言は、私のダイエット開始への迷いを完全に吹っ切ってくれた。

多分、私はこんなきっかけを待っていたのだ。

「言いにくいことを言ってくれて本当にありがとう。完全に目が覚めたよ。今夜はうんと楽しんで、明日から生活変える。やせる!今日は家まで歩いて帰る」

一気にそう告げると、Kちゃんはこう言ってくれた。

「おお〜いいね!じゃあ私も頑張る。もちろん帰りも付き合うよ」

夜空に浮かぶ早咲きの桜の下を、Kちゃんと並んで歩いた。
少し酔った体に、夜風が気持ちよい。

アップダウンのある道だけど、不思議と足取りは軽かった。

いや、軽かったのは私の心だったのかもしれない。

⏤その日から、私は地味な努力をコツコツ続けた。

生活は大きく変えず、まずはこんなことを心がけた。

今できる運動を、ちょっとだけする
少しの変化に気づき、喜ぶ
今、まさに理想の自分へ近づく途中だと思う

毎日、YouTubeで踊ったり筋トレをし、自転車をやめて歩くようにした。
お酒は控えて、よく噛んで食べた。

うまくいかない日もあったけど、次の日にはまた少しだけ頑張る。

それを繰り返した。

そのうち、少しずつ体重が落ちていった。

デニムのウエストがゆるくなっていく喜び。
鎖骨の上に水が溜まったのを見た時の感動。

「すごい。人間ってやる気になればなんだってできるんだね〜」
10ヶ月後。
娘達がそう感慨深げに言ってくれた時、なんと体重は12キロ減っていた。

見た目の変化はもちろん嬉しい。

けれど、自分で自分をコントロールできていること。
私は、それが1番嬉しかった。

⏤あれから5年。
昨日、私はあのクリニックに健康診断を受けに行った。

体重を測る時、ちょっとドキドキした。
ここのクリニックにあるはずの前回データは、今より10kg以上多い。

何か言われるかなあ……?

「あの……ここでの健診は5年ぶりですよね。その間、ご体調に何か変化はありましたか?」

ちょっと心配そうに、スタッフさんがそう尋ねてきた。

………やっぱり来た!

私は、すまして答えた。
「はい。変化は色々と……」

そして、こう続けた。

「5年前、ここで測った体重に衝撃を受けて、その日から頑張ってダイエットしました。病気じゃないのでご安心ください!」

スタッフさんは目をまんまるにして驚き、笑顔でこう返してくれた。

「ご病気じゃなくて安心しました。そして、10kg以上!?
すごいじゃないですか〜!」と。

ダイエットを決意したあの日。

私を奮い立たせてくれたのは、2人の言葉だった。

慰めの言葉で、逆に私を一念発起させた検診スタッフさん。
率直な言葉で、「やるしかない」と後押ししてくれた友人Kちゃん。

2人には感謝しかない。

そしてもう1つ、忘れちゃいけないことがある。

あの日、最後に決心をしたのは、この私。

「自分を取り戻す」と決めたあの瞬間。

それが今の私につながっている。

だから私は、私にちゃんと言おう。

「本当によく頑張ったね。お疲れ様、そしてありがとう!」

「運動会めんどくさい」と思った瞬間、私は仕事を辞めた

イヴ
「あーーもー!運動会めんどくさいなーー!」そう思った瞬間、私は会社を辞めた。

半年前の話だ。自分でも驚く程の、電撃退職劇だった。

私は幼い頃から地味で真面目な優等生。何不自由なく大学を卒業し、大企業へ就職。25才で職場結婚したが、仕事が楽しすぎて、それはもうのめり込んだ。会社での評価も高く給料は右肩上がり。

30才を過ぎたら突然子供が欲しくなり、32才で第一子を授かる。すると今度は子供が可愛過ぎて離れられなくなり、わりとすぐに二人目を熱望。34才で第二子を出産した。人生、順風満帆。

ところが、ここからが私の人生の暗黒期…。これは、自分でも全く想定していなかった。世にも恐ろしい、育児ノイローゼだ。

あんなに可愛かった一人目が、二歳のイヤイヤ期に突入。そこに、新生児が加わる。これはもう、人間ではなく、宇宙人かなんかを育てているのかと思った。

転勤族で知らない土地での子育て。周囲に頼れる人のいない二人育児で、私の肉体と精神は崩壊。

子育てがこんなに辛いなんて、今まで誰も教えてくれなかった……。

毎日寝不足で朦朧としながら、なんとかやり過ごした。このままではいろいろ危険すぎると判断。とにかく、復職しよう。復職さえすれば、この地獄の日々から解放されるはずだ。

そう信じて、上の子2才、下の子9ヶ月の時に、育児から逃げるように時短で復職した。

二人を保育園に預けて仕事に行くというのは、最高だった。大人と話ができる!一人で昼ご飯を食べられる!この2点だけでも、だいぶ救われた。

それに、ワーママという言葉に、何かステータスのようなものも感じていた。仕事も子育ても両立してる私って、人生楽しんでる感じ、するでしょ!?

しかし、こんな風に軽やかな気持ちでいられたのは、復職した初日だけだった。ここから私を待ち受けていたのは、子供達、二週間に一回必ず発熱地獄。保育園からの呼び出し電話に震える。脇に挟んだ瞬間から37℃を越える体温計に絶望。絶対休みたくない日に限ってなんで……

挙げ句の果てに、風邪を拗らせた上の子の付き添い入院。さらに、退院して3か月後にまた入院。

なにをやってるんだ。私は?

子供の体調を整えることもできない。まともに出勤することもできない。

子育てと仕事の両立なんて、とんでもない。

全てが上手くいかなかった。私は、常に余裕がなくて、イライラしていた。旦那にぶつかったり、子供達に手をあげたこともあった。

今振り返ると、悪いことばかりが記憶に残っている。それだけ、必死に戦っていたのだ。そんな地獄の日々も、子供達の成長と共に終わりを告げる。

上の子が小学校に入学した頃から、子供達が少し手を離れた感覚があった。

私、子育ての第一ステージ、やっとクリアした………上の子6才、下の子4才。

長かった暗黒期に、ようやく光が射したのだ。

時間と心に若干の余裕ができた私は、たるんでいた身体を鍛えたり、スキンケアや、髪の手入れを始めたりした。

これからは、少しの時間と、少しのお金を、自分の為に使おう。そう思った。

いつもキレイで仕事のできるワーママ。憧れだったステータス。6年かけてようやく手に入れた気がした。

不思議なもので、自分に余裕ができると、仕事も上手く回り始めた。営業で表彰され、ついには、昇格の辞令をいただくこととなった。

昇格後の私は、鼻息荒く仕事に精を出した。かつて仕事にのめり込んでいた20代の頃と同様に、常に思考をフル回転。一日、一週間、一ヶ月単位でTodoリストを書き出しては、消し込む。

増えた業務、雑務、責任。全てに対応しようとしたし、自分にはできると思っていた。

が、そんなに甘くなかった。

まだ時短勤務の私には、正直、荷が重かった。圧倒的に、時間が足りない。無理をして、仕事を家に持ち帰ることも多々あった。

夕方、家でスマホのメールをチェック。ついつい、仕事に夢中になる。

「ママー。夜ご飯なにー?」「ママー。これ見てー。手伝ってー。」ママママママママママママ。

「うるさーーい!!ちょっと5分だけ黙って!」

来月の仕事の予定は……あ、運動会か。小学校、保育園、予備日も含めて、あ、就学前検診もあるのか……この週は絶対仕事したいのに。あーーもー!運動会めんどくさいなーーー!!

この気持ちが湧いた瞬間。私の中で、気持ちがプツっと、折れた。

運動会を面倒くさがる母親って、なに?最低すぎだろ………

仕事、辞めよう。

18年勤めてきて、初めて辞めようと思った。

すぐに旦那に伝えた。まぁいいんじゃない?の返答にホッとした。

翌日には上司に伝えた。あまりにも突然すぎて心配されたし、かなり引き止められた。

それでも私の気持ちが揺らぐことは無かった。一度決めたら、止められないタイプの人間だ。

こうして二ヶ月後には退職。自分でも予測不能な、電撃退職だった。

そしてあれから半年経った現在。私は仕事もせず、子育てに全振りした日々を送っている。

手料理の機会は増え、学校へ行き渋る子供達を笑顔でなだめ、穏やかに家で帰りを待つことができている。

収入は失ったけれど、得たものの方が大きい。

あの時勢いで下した辞める決断は、私の人生を変えた。間違いなく、良い方向に変えた。

今は、そんな気がしている。

「また辞めたの?」から始まった

河合萌花
「また辞めたの?」

友人の何気ない一言だった。責めるような口調でもなかった。それなのに、その言葉は鋭く、深く胸に刺さった。

一瞬、何か言い返そうとした。けれど言葉は出てこなかった。図星だったからだ。

取り留めもない返事をして、そのやり取りを終えた。終えたのに、私の頭には友人の言葉がこびりつく。

「また辞めたの?」

ほんとだよ。私は、どこに向かっているんだろう。

遡ること20年前、大学を卒業した私は出版社に就職した。第一志望の会社でもあったし、先輩方も教育熱心で、「成長のためなら」と忙しさも苦ではなかった。

当時は「働き方改革」なんて言葉もなく、残業は当たり前だった。終電こそ間に合っても、月の残業時間は多いときで100時間を超えた。ただ“言葉”を扱う仕事にも次第になれ、表現が広がり、楽しさは増した。何より若さもあって、「頑張ればなんとかなる」と思っていた。

だが、体は正直だった。

朝、起き上がれない。動けない。笑えない。気づけば私は、一度目の休職に入っていた。

復帰後も状況は大きくは変わらなかった。無理を重ね、再び体調を崩し、二度目の休職。そしてそのとき、ようやく私は「もう無理だ」と認めた。

約7年勤めた会社を辞めた。

少し休んで体調が落ち着くと、「そろそろまともに働かなければ」という焦りがやってきた。責任さえ減らせればと派遣社員の仕事を始めたが、一社目は人間関係に疲れて退職した。いわゆるお局に目をつけられ、早く来ても怒られれば、残業しても小言を言われた。退くなら早めがいいと、半年あまりで決断した。

二社目では、仕事の内容自体は嫌いではなかったが、待遇と比べて過多な仕事量が続いた。挙げ句の果てに、深夜に開いたメールは私のミスだけを責める内容。心が折れ、結局そこも2年が限界だった。

そして言われたのが、あの一言だった。

「また辞めたの?」

自分でもわかっていた。今の私には、何かが足りないのかもしれない。忍耐力なのか、社会性なのか。それとも、もっと別の何かなのか。

「環境が悪かっただけだ」と言い訳することもできた。実際、そう思う部分もあった。でも、次にまた運が巡ってくるとは限らない。何よりその言葉を口にすることが、どこか逃げのようにも感じられた。

言い返せなかったのは、相手の言葉が正しかったからではない。ただ、自分の中に答えがなかったからだ。

組織で働くのは、もう限界だった。
けれど、一人で生きていく術もわからない。

迷走が始まった。

芸能の道を考えてオーディションを受けたこともある。エキストラとして現場に立ったこともあった。でも、当然ながらスポットライトは当たらない。名前の載らない私たちは、言わば“背景”でしかない。一人前に稼ぐまでには、言わずもがな遠い道のりを覚えた。

生活のためにアルバイトを増やした時期もあった。週5、6でひたすらシフトをなぞる日々。体が追い付かないと感じればエナジードリンクを一気に飲み干し、また現場に立った。

でも、働いているのに、前に進んでいる実感がなかった。
積み上がっているものが、何もない気がしていた。

ある夜、現状への不満をふと口にした。たまたまSNSで繋がっていた、新聞記者に対してだった。とにかく自信を欠いた私に、その人はこう言った。

「これまでの経歴をきちんと書けば、もっときちんとした仕事が来るよ」

――私の経歴?
半信半疑で、一から書き出した。

出版社に、派遣社員時代の広告代理店。
本棚には当時のチラシや情報誌が挟まっていた。

ばらばらだと思っていたものが、なぜか同じ線上にあるように見えた。

印刷直前まで見出しを直され、引き出しが少ないからと他社の雑誌を渡された一年目。二年目には出した企画書に「伸び代がない」と言われ、夜中までファミレスにこもった。広告代理店に移ってからも、世の中にインパクトを与えるコピーやネーミングに奔走。他社の商品を街なかで目にしては、シャッターを切った。

気づけば私はずっと、「言葉」に触れてきた。

「……そうか」

初めて気付いた。

「もしかして、全部“言葉”で繋がっていたんだ」

プライベートに目を移せば、所属していたフットサルチームのSNS運用も任されていた。
「萌花ちゃんにしかできないよ」
なんて言われていたっけ。

ーーほんとだ。
辞めてきたことも、遠回りしてきたことも、昨日までは何もかもが無駄だと思っていた。でも違ったんだ。

全部が、ここに繋がっていた。ずっとバラバラだと思っていた自分の過去が、初めてひとつにまとまった気がした。

私は、何も持っていなかったわけじゃない。
ずっと持っていたのに、気づいていなかっただけだった。

視界が少しだけ開けると、初めて意思を持って次の道を選べた気がした。

そこから私は、書く仕事で生きていくことを決めた。

最初はうまくいかなかった。依頼は少なく、収入も不安定だった。でも、どこかに反骨心もあった。理不尽にまみれた過去を、超えてみせる。

少しずつ仕事が増え、実績が積み重なっていった。3、4年後には、派遣社員時代の年収を超えた。今では正社員時代の収入にも手が届くところまで来ている。

計画的なキャリアではなかった。むしろ、思い通りにいかなかったことの方が多い。

辞めたことも、迷ったことも、数えきれない。

それでも今なら言える。

あのとき道に迷ったからこそ、自分の輪郭が見えたのだと。

「また辞めたの?」

あの言葉は、今でも思い出す。

でももう、刺さることはない。

だって、辞めたから今がある。
辞めて良かったのかもしれないとすら思う。

端から見れば右往左往した日々も、今は挑戦した証として、自分の中に残っている。
私にとって区切りを打つことは、終わりじゃなくて、始まりの手前だったんだ。

年表は変えられない。
でも、未来は変えられる。
自分の人生が教えてくれたように。

こうして私らしい未来は、きっとこれからも続いていく。

割引キャンペーンのおかげで。

nana.
今から私……ここから飛ぶ!!

小学校の校舎…

階段の踊り場を見下ろしてみる。

ゴクッ…。

唾を飲み込む……

「13段…くらいかな……?」

捻挫くらいでいい……

怪我をすれば…

怪我さえしてしまえば……!

しばらくは…

『アレ』…休めるよね……?

「メーン、メーン!メンメンメンメンメーーーーン!!」

小学校入学。

と同時に、剣道をやらされている私…。

父が高校の部活で剣道を始め…

“”剣道愛”に目覚めてしまったという。

そんな父と結婚した母。

これまた、””剣道愛””に目覚めてしまったらしい……

そんな””迷惑な愛””に巻き込まれた姉と私…

有無を言わさず、剣道を習わされている。

父は剣道クラブの指導者。

母も毎度稽古に参加している。

『剣道一家』

…そう私たちは陰で呼ばれていた。

木曜日と土曜日の週2回、夕方から始まる剣道の稽古。

稽古場所は、通っている小学校の体育館。

親が指導者…

サボることは、決して許されない。

学校から帰宅し、しばらくすると…

剣道着に着替える時間がやってくる。

ああ……

あの西日が当たる時間…大っ嫌い!

ああ…息苦しい……

「時間よ止まれ、時間よ止まれ…」

そう呟きながら、準備をする私…。

はあぁぁ…

また学校に行くんか〜〜…

歩きで5分くらいだけど…

あ〜〜〜…イヤだあぁ…

行きたくないぃ〜〜…

稽古…したくないよおぉ〜〜…

イヤイヤ剣道をやらされている私。

だけど…

稽古が始まったら、超真面目な女の子。

負けず嫌いも相まって…

「コテ、メーーーン!!」

しっかりと、大きな声も張り上げます!

そして、最後までやり遂げると……

「ありがとうございましたーー!!」

元気よく先生に挨拶して、

『今週もやり遂げたわ〜〜!』

…な〜んて、清々しく達成感を味わう私。

だけれども……

日〜水曜日を過ごすと…

一週間って、なんて早いの……?

もう木曜日なんだけど……!?

学校が終わったら…稽古だあぁ…

イヤだーー!

行きたくなーーい!!!

小学生時代…

……その繰り返しの日々を過ごしていた私なのだった。

小学4年、ある日の木曜日…

……あ、そうだ!!

“”怪我をしてみる””って……どお…? 

学校で思いついた私。

確か…お姉ちゃん…

前に足首捻挫して、しばらく稽古を休んでたよな〜…

よし……やってみるか…!!

放課後…

友達について来てもらい、

私は階段で飛び降りる準備をする。

「13段くらいかな…? うわ、けっこう高いかも……」

ゴクッ…。

やっぱ……怖い…!

だけど…!怪我をすれば…!

稽古がしばらく休めるんだから!!

…やるっきゃないっしょ!!

せーーの……!!

「……あ””あ””あ””あ””あ””ーーーーー!!!」

13段下の踊り場をめがけて飛ぶ!!

恐怖で変な声が出るーー!!

(着地する時! 足をひねるのだーー!)

スチャッ!!

あれ…?

なんと………綺麗な着地っ!!

うわぁ…なんてことだ……

怖くて、怖くて…

どうしても…

綺麗に着地してしまううぅ……!!

その後…

数回飛んではみたけれど…

結局、怪我をすることはできず……

この日も、いつもと変わらず…

「メンメンメンメン!」

竹刀を振り回していた私なのだった……

小学校を卒業…中学生になった私。

中学は運良く剣道部がなく、私は美術部に入部。

幽霊部員として3年間やり過ごし…

「学校が忙しい」と言っては、剣道クラブにも顔を出さず…

自然に剣道からフェードアウトしていったのだった……

高校に進学した私。

部活も決められず…

のほほ〜んと過ごし、1ヶ月程経った頃…

父から

「月に1万円お小遣いあげるから、剣道部に入りなさい」と…。

少し悩んだ私…

(うっ、1万円……ほしい…)

勇気を振り絞り、剣道部の門をたたく。

剣道部の先輩に

「部員が少なくて、困ってたの〜!」

と大歓迎され…

部員数極少…あまり厳しくない剣道部に入部した。

剣道部で汗を流し、青春を謳歌。

3年間…

月に1万円、父にお小遣いをしっかりもらいながら……

そんな私も就職。

“”やらされていたこと””から完全に解放された私。

剣道よ……さ〜ら〜ば〜〜〜♪

その後…

結婚、出産、育児……

自分にかける時間もなく…

数年という月日が流れていったーーーー

30代の終わり頃…

職場の先輩から

「面白いから見てみな〜〜」

と、紹介されたアニメ。

『ウマ娘』

“”オグリキャップ””、””トウカイテイオー””

などなど…

競馬は見ていなかったけれど…

耳にしたことがある、お馬さんたちの名前。

アニメのキャラクターの名前を検索すると…

昔、競馬で活躍した馬たちの情報が…。

もともと動物が大好きな私。

「馬に会いに行きたい……!!」

そんな気持ちが芽生え……

“”馬、近場””

スマホで検索。

すると…

『39歳までの方、入会金割引キャンペーン★』

車で1時間程の場所にある、牧場のホームページがヒット。

…乗馬レッスン!?

乗馬なんて…

高級貴族の習い事だと思ってたわ……

はっ!

私の年齢……ギリギリじゃん。

お安く入会できる、最後のチャンス!?

やば…!

誕生日、もうすぐ来ちゃう…!

今しかないじゃん!!

……体験に行ってみよ〜っと♪

乗馬クラブに入会して、早5年ーーー

早ーい!

もう5年も経ったんだ〜…

同じ習い事やるのでも…

『やらされている』と『やっている』って、全然違う…。

剣道は、やりこなしていただけ。

「メンメン」大声を出して、竹刀を振って…

これでストレスは発散できてたみたいだけど…(笑)

今は…

毎週牧場へ行き、

レッスンを受けて、馬の手入れまでできている。

……なんという充実した日々。

そして…

『もっと上手くなりたい!!』

そんな向上心を持って、私は今生きられている。

これってあの時の…

“”入会金割引キャンペーン””のおかげかな?

私の人生…

あれで変わったよなぁ……

割引の一押しのおかげで、

『乗馬』という門をたたけたし……

『やらされていた私』から『やっている私』に、変わることができたんだよなぁ……

自分がやりたいことをするって…

本当に楽しい♪♪

でも、今思えば…

剣道で培った体幹は、無駄じゃなかったのかも…。

そこは…

剣道バカだった……両親に感謝です♪

それでいい

ヒトミ
「もういやや!!」

そう言った途端、私の目からは、滝のように涙が流れ出していた。

苦しくて、苦しくてたまらない…

でも、どうしたらいいのか分からない。

私は、自分を見失っていた…

平成〇年3月中旬。

当時の私は、高校を卒業したばかりだった。

大学・専門学校への進学や就職。

多くの卒業生は、次へ進む道を思い、胸を弾ませている時期だろう。

でも…私はそうではなかった。

まだ、次の進路先が決まっていなかったのだ。

私には昔からの夢があった。

それは看護師になること。

想い続けた夢。

何も疑わず、看護師になるものだと思っていた。

でも、そんな思いがユラユラと揺れ始めるなんて、私は思ってもいなかった。

高校3年生になった頃から、私の気持ちは揺らぎ始め出した。

“本当に看護師でいいん?”

“進む道、間違ってない?”

“この道が自分に合っていなかったらどうしよう”

なぜか漠然と、そう思うようになっていた。

更に追い打ちをかけるように、将来を決断をする時期が迫ってくる。

それがとてつもなく怖かった。

私はまんまと、迷いと恐怖の渦に巻き込まれていた。

案の定、勉強にも集中できず、受験した看護学校は全部不合格。

完全に空回りをしていた。

そしてとうとう、進路先が決まることなく、高校の卒業を迎えてしまった。

卒業後の私は完全に無気力だった。

家に閉じこもり、なにもせず、ただ息をしていただけ。

(こんな娘でごめん)

親にも申し訳ない。

でも、この苦しさは誰にも言えない。

そんな日を過ごしていたある日。

「プルルルループルルルルー」

突然電話が鳴り響いた。

誰とも話したくないなと思いつつ、仕方なく受話器を取る。

そして、聞き覚えのある女性の声が耳に届いた。

『もしもし、私Y高校のYと申します』

「…Y先生」

受話器の向こう側の相手は、高校3年生の時の担任の先生だった。

(あー進路のことやな。)

瞬時に用件を察した私は、先生の言葉を待つ。

『ヒトミか?どうや??大丈夫か?』

卒業してまだ間もないのに、すでに先生の優しい声が懐かしく感じる。

そして、先生の声のトーンだけで、私のことを心配してくれていることが伝わってきた。

でも…だからこそ、余計に辛い。

(こんな生徒でごめん)

(自分の進路さえハッキリ決められなくて…ごめん)

怖い。

自分が進むべき場所の正解が分からなくて…不正解やったら怖くて…

申し訳ない気持ち。

未知なる世界への恐怖。

それらが一気に私の心をかき乱した。

そしてとうとう、私はもう自分をコントロールできなくなってしまった。

「ううっ…先生…私もう、いやや…」

言葉と同時に、頬に生温かいものが流れ始めた。

そして、止まることを知らないかのように、ドンドン流れ出てくる。

「うぅっっ、ううーーん」

『ヒトミ!大丈夫!…泣かんでいい!』

私の嗚咽を聞いて、先生も動揺しているのが電話越しでも分かった。

自分のことも決められない。
おまけにみんなを困らせている。
もう、ほんまに自分がいやや。

そう思った次の瞬間、予想もしていなかった事が起こったのだ。

『ヒトミ!!おい!!聞いてるか!?』

「!?」

優しいY先生の声が、突然低いダンディーな声に変わったのだ。

でも、私にはすぐ、この声の主が誰なのかが分かった。

「…F先生?」

それは、高校1年生の時の担任の先生だった。

私とY先生とのやり取りを、偶然聞いていたのだろう。

そして、F先生の声を聞いた途端、私は理性を失ったかのように、こう叫んでいた。

「ううっ…せんせっ…私もう分からん。どうしたらいいか分からん!どうしたらいい?もういやや!!」

悲鳴と変わらない声で、受話器の向こうにいるF先生に思いの丈をぶつけた。

親にも言ったことない、今の私の等身大の思い。

どうしようもない生徒って思われるかもしれない。

でも、もう誰かに言ってしまいたかった。

思いの丈をぶつけた後、F先生の声が耳に届いた。

『ヒトミ、落ち着け。大丈夫。よく聞け。』

私がこんなに取り乱しているというのに、トーンが変わらないF先生の声。

淡々と冷静な口調だった。

でも、そっと包み込んでくれるような優しさも秘めた声だった。

そして、そんなF先生の次の言葉で、私の心のダムは、完全に決壊した。

『ヒトミ、それでいいんや。自分の気持ちが1番難しい。でもそれでいいねん。お前は絶対大丈夫や』

「うっ…うわぁーーーーーん!!!」

恥ずかしさ。

申し訳なさ。

不安。

そんな気持ちを無視して、私はただ子供のように泣き続けた。

『それでいいんや』と、今の自分をそのまま受け止めてくれている先生。

それはまるで、ボロボロの私の心に、優しく包帯を巻いてくれたようだった。

泣き続けている間、受話器からは何の音も聞こえない。

落ち着くまで待ってくれている、先生の無言の優しさ。

そして、その優しさに甘えている間、私の中で少し何かが変わり始めていた。

それは、自分の苦しみを打ち明けたことで、何かが吹っ切れたような感覚。

(怖いけど…前に進みたい。進まないと)

私が落ち着いてから、Y先生がまだ受験ができる看護学校を教えてくれた。

迷いがなくなったわけではない。

でも確かに、先生の言葉が私の背中を少し押してくれた。

そして3月末に受験をし、私はなんとか看護学校に合格をした。

あのとき、先生たちの電話がなければ、きっと今の自分はいない。

この先、どんなことが待ち受けているか分からない。

この道を進んだことを、後悔するかもしれない。

でも、今は“それでいいんだ”

そんな思いを胸に、私は看護師への道を歩み始めた。

バツイチの私が新たな一歩を踏み出した理由

牧 奈穂
 バツイチの私は48歳。高校生になった一人息子の世界から追い出され、焦りを抱き始めた。心の中にポッカリと空いた穴が妙に痛い。日々遠ざかる息子の背中を追いながら、恋活を始めたところだ。
 マッチングアプリで出会った彼からの「いいね」で存在を知り、プロフィールに書かれた職業「新聞記者」をみて、話がしたくなった。書くことを学ぶ私にとって、それを仕事にしている人は、リスペクトに値する。
丁寧に綴られた彼からのメッセージは、かなりの長文だった。長く書く行為は、自分の心を伝え、相手を思う時間を意味するかのようだ。次第に長文のメッセージを送り合うようになった。
 彼の趣味は、自然の中にいること。私もキャンプを始めたばかりだったので、「自然」というキーワードで会話が深まっていった。彼は自然の中の「音」が好きだという。波や風、川の音。自然が奏でる音色には、癒しがあるという。

 ランチを共にしたある日、カフェを出たところで彼が口を開いた。
「まだ時間ある?」
 私が頷くと、彼は穏やかな声で続けた。
「僕の好きな場所に案内してもいい? せっかくだから今から行ってみない?」
彼は山に向かって車を走らせた。田舎道になるにつれ、赤や黄色に染まる木々の葉の色が目に飛び込んでくる。細い道へと入って行くと、彼は道の脇に車を停めた。
「ちょっと降りて歩いてみようか?」
 森の中には、川が流れていた。水面から川底が見えるくらい澄んでいる。サラサラと流れる水音に耳を傾けながら、ひんやりとした空気の中で再び話し始めた。
「いい場所ですね。水の音に癒されます。ここにはよく来るんですか?」
「たまにね。川のせせらぎを聞きたいときに来るんだ。この川は『皇都川』っていってね、昔、孝謙天皇が恋に落ちて、この土地で密会していたという話があるらしいよ。でも、ここに住む人たちは、それを悪く思ってないかもね。互いを思い合った恋の場所と考えてるんじゃないかな?」
 その空間は、誘惑した場所のようには感じられなかった。むしろ清々しい空気に満ちているようにさえ思える。
「意外と近い場所に、こんな素敵な場所があるんですね。私は地元の良さを知らなかったかもしれません」
「これも取材なんだよ。僕が自分で見つけたわけじゃないからさ。気に入って時々来るようになっただけでね」

 しばらく黙ったまま、川のせせらぎに耳を澄ませていた。森の中に身をおくうちに、私は彼にあることを聞いてみたくなった。スマホのメッセージでは聞き出せなかったからだ。
 一般的に、過去の恋愛について聞くのはマナー違反かもしれない。でも40代、50代になれば、誰だって一つや二つの失敗や苦悩があるだろう。失恋も離婚も、全てがその人の「今」をつくり上げている出来事だとすれば、隠す必要なんてないのかもしれない。若い男女とは違う、歳を重ねた人たちの出会いは、どんな失敗や傷が心の中に潜むのかを語り合える関係であってもいい。彼がどんな道に苦しみ、生き抜いてきたかを聞いてみたかった。

「結婚したいと思った人は、今までいなかったんですか?」
「いたよ」
意外にも、彼はあっさりと答えた。
「それって、いつ頃ですか?」
「10年くらい前かな。プロポーズしたけど、うまくいかなくなったんだ。なぜダメになったか、理由を聞かなかったんだけどね……」
彼は職業柄、何でも突き止めようとするのかもしれない。でもそのときばかりは、一人の男性として深く傷つき、できなかったのだろう。
「離婚歴がある女性だったんだ。きっと子供たちだって、僕がいなくなって寂しかったと思うけど……」
「お子さんは、何人いたんですか?」
「二人。男の子と女の子だったね」
「おいくつくらい?」
「当時、二人とも小学生だったから、今はもう成人してるかな」
 彼が子供たちのことを口にしたとき、その光景が見えるような気がした。二人の子供たちと彼が、外で遊び合うような姿が頭に浮かび上がったからだ。女性のことよりも真っ先に子供たちのことを話す、その言葉の先に、我が子のように大切に思う心が見えるような気がした。どんなに別れが辛かったことだろう。きっと彼自身も子供たちと別れて寂しかったのではないか。一度に大切な三人を失ったのだから、想像以上の喪失感だったことだろう。
「そんなにうまくいっていたのに、残念でしたね……」
私は思わず呟いてしまった。人の心は、何気ない会話の先に、ふと出るもの。可愛がっていた、大切にしていたと言葉にしなくても、心は見える。
「まぁ、いいんだよ。昔の話だからさ」
「この10年間で、他には出会いはなかったんですか?」
「あったよ。何人かお付き合いしたけど、ピンとこなかったんだよね」
「完全に立ち直るのに10年かかったってことですか?」
「そうかも。10年経ってやっと前を向く気持ちになったのかもしれないね。今、前を向かなかったら、もう出会いはなくなるかもって思い始めたんだ」
 彼には立ち直りの10年が必要だった。そして私も離婚を決意するまでに10年以上が必要だった。
 人生はいくつからでもやり直せる気がする。歳を重ねれば重ねるほど、失うことが怖いし、やり直すことも怖い。失敗したことがあるということは、心に深い傷があるということでもある。その現実に向き合いながら、互いに人生をやり直そうと前に進み始めたところだ。
 私には、夫の浮気に苦しんだ過去がある。そのときは息子を育てるために夫が必要だった。だから自分の心に蓋をして、見ないように生きてきた。子育てに夢中になりながら心の傷を放置してきた。すると時間が経つほどに、その傷は癒えるどころか、心の底に擦り込まれていった。だからいざ誰かと向き合おうとすると、相手を信じられなくなる。瞬間的にブレーキがかかり、また裏切られるのではないかと恐れ、自分は価値がない女性だと思い込んでいることに気づく。
 皇都川を、愛の場所とするか、悪人の住む場所とするか、見る人によって異なるように、人生にもさまざまな捉え方がある。それならば年齢を意識せず、自分らしく人生をやり直してみたい。

 ……あの日から4年。
私たちは互いの過去の傷を乗り越え、日当たりのよいマンションの一室で、新たな一歩を踏み始めた。

しあわせのカタチ

青と麦
将来の夢、「優しいお母さん」

小さい頃作文で、そう書いた記憶がうっすらとある。

私の中の母は、いつも笑っていた。
母がぎゃぎゃー怒っている記憶はなく、
「はやくはやく!」とか「もー何やってんの!」とかそんなセリフ、聞いたことはない。
私の母はこの世で一番可愛いと思っていた。
(実際には母は美人でもなんでもない)

だから私も、可愛くて優しくて、いつも笑ってるお母さんになると
疑いもせずに思い込んでいた。
なんかもう、雑誌の表紙にでもなりそうな、キラキラしたものを想像して。

時は流れ、大人になり、幸い私は3人の子供に恵まれた。
小さい頃に憧れていた「優しいお母さん」になる権利を得たわけだが・・・

ねぇ、今ならわかるの。
子育てって、「可愛い、楽しい、私の天使ちゃん♪なんて幸せなの!」
なんて感情ばかりで成り立っちゃいないってこと!

始まってみたら子育てって、当たり前だけど一筋縄ではいかない。
それどころか縄何本あっても足りんし。
ていうか縄って何よ、ドラえもんが必要なんですけど??

でも当時の私は、ニコニコしていた母の思い出にとらわれて、
「私はお母さんなんだから!」「自分で選んだんだから!」

子育てを少しでも大変だと思ってはいけない つらいなんて思ってはいけない
と自分に言い聞かせ。誰かに脅されてるの?ってくらい、
悩みや迷いを周りに悟られないように必死だった。

どんなに可愛い我が子でも、
「しんどいな・・・」「疲れたな・・・」
そんな時があったり、時には泣きたくなったりして当たり前なのに。

いつしか「優しいお母さんになりたい」ではなく、
「幸せそうなお母さんでなくてはいけない」に変わっていたのかもしれない。

どんどん作り笑いだけが得意になっていく私。
ママ友達が「もー毎日イライラばっかりさせられてぇ」とか「うちの中戦場だよぉ」なんて話をしても、
「うちはそうでもないかなぁ」とか「私仕事してないから時間だけはあるからさぁ」とか、なんかどこか大変さを認めたくないみたい。

ニコニコしていることこそが幸せ、それが正解。
もう一種の呪縛??
今思えばそれはニコニコじゃなかったね。
ただヘラヘラして、自分も周りも誤魔化していただけだった。

そんなある日、私は家族で旅行に出かけた。
そんなに遠い旅じゃない。たった1泊2日のね。

子連れ旅行、楽しいし、もちろん幸せ。
子供たちがはしゃぐ姿、非日常。お母さんも一瞬だけ家事から解放されて。

でもやっぱりほら、一筋縄じゃいかないんだって。
スマホのカメラには映える瞬間が残ってるかも知れないけど、
その陰では誰かがぐずったり、子供たちが父親を怒らせてみたり

ほんとはね、それこそが旅の醍醐味なんじゃないの?
当時の私に教えてあげたいけど。
呪縛にとらわれた私には、イライラする瞬間は恐怖でしかなかったの。

案の定、真ん中の子が不機嫌MAX、それ見て長男切れ気味、
末っ子は疲れてしゃがみ込み。
父親は呑気にスマホ・・・

私だけがみんなの機嫌取りながら、うかつにも、一瞬「はぁ・・・もう帰りたい」と、
泣きそうな気持ちになってしまった。

せっかくのいい景色も、普段と違うちょっと楽しい時間も、台無しになりそうになった
その瞬間、一人の外国人観光客のマダムが私に向かってこう言った

「オカアサン シアワセネ」

ーー私はその言葉を深く考える間もなく、咄嗟に彼女に笑顔を向けた。
「あ~~どうもぉ( ´∀` )」
もう本当に、ただの条件反射。とりあえずニコニコ、あ違った、ヘラヘラしとけと脳からの指令。

でね、その機械的な笑顔を保ったまま、脳内はひねくれていた。
ーしあわせ?あぁ、まぁ3人の子供たちに囲まれて、ね。
ーでも今1人は泣いてて、1人はキレてるけどね。
ーあぁ最悪・・・

私は私のプライドであった、「ニコニコ幸せなお母さん像」とは違う自分を見られるのが怖くて、一刻も早くその場から立ち去りたかった。
失礼にも「無責任なこと言わないでよ」とすら思っていたかもしれない。

そんな私の逃げ足を止めたのは、マダムの二言目だった

「イッショニナク イッショニワラウ ホントニ、シアワセ」

―Whaaaat??ちょい待ち今何て?(急に英語出た笑)

「一緒に泣く・・・事が幸せ?」

恥ずかしながら3人も子供を授かった私の中に、子育てしながら泣く事が幸せ。
ーその発想はなかったのだ。

私は完璧な母親を目指したことはないけれど、
とにかく子育てしんどい、大変という雰囲気だけは出さないように必死にやってきた。

ちょっと挫けそうな時もイライラしたり泣きそうになったりするのは
私の中では論外。敗北ですらあった。

しかし旅先で出会ったこのマダムは、疲れて帰りたいなぁなんて弱音の滲み出た私を見て

「シアワセネ」と言ってのけたのである。

ーーその時私は気が付いた!!・・・なんてドラマチックなターニングポイントではないけれど、

もしかして・・・幸せであることと、つらいと思うことは、同時に存在していいものなのか?
と、私はぼんやりと気づいてしまったのだ。

ニコニコ幸せでいるためには、つらい時なんてあってはいけない。自分で勝手に作り上げた理想から、解放された瞬間だった。

この時ばかりは、いつもの機械的な作り笑いが、ほんの少しだけ緩み、
きっと可愛いお母さんの笑顔になっていたんじゃないかな・・・。
涙で滲みかけた目の前の富士山が、ちゃんとまぶしく見えたよ。

とはいえとはいえ、長年身についたヘラヘラ癖は、急には治らず笑
やっぱり私は、今でもついつい笑って誤魔化していることが多いけど、

いつかのマダムがくれた「オカアサン シアワセネ」という自然体の言葉は

「辛いことも大変な事も認めて、幸せが成り立つんだよ」と
私が私を納得させる、魔法の言葉となっている。

旅先でのほんの一瞬の会話。人生の中ですごく小さな出来事。
これが私の人生を、劇的に大きく変えたわけではない。

でもきっと多くの人の人生は、些細で小さな事の積み重ねで
その色や方向が、ちょっとずつ変わっていく。この繰り返しなんじゃないだろうか。

この先どんな経験が、私を変えて行くんだろう。
その時は気づかずに、後になって感じるような小さな出来事なんだろうな。

あのねマダム、私、今も幸せだよ。

その一言で

ima.
「もう、学校行きたくないなぁ」

そう思っていたのは、高校に入学して2ヶ月後の私。

それは、この高校を選んだ理由が、もうなくなってしまったからだった。

中学の頃…、
周りが進路の話をしている中で、私は特に何も考えていなかった。

スポーツがやりたいとか、
進みたい分野もない。

「あの学校の制服が可愛いから」とか、
そういうのも、全部ピンとこなかった。

みんながそれぞれ理由を持って決めていく中で、

私は「高校は行くもんだよな…」ぐらいに思って、
なんとなく、そのまま流れに乗っていた。

中学の担任に、
「やりたいことがないなら、高校で見つかるかもしれないよ」
そう言われてすすめられたのが、この高校だった。

入学してすぐに、1ヶ月間の海外語学留学がある進学校。

海外には、少し興味があったから。

…それくらいの理由で、私は頷いた。

でも、その留学が終わった。

それからは、
大学進学に向けて勉強する日々。

やりたいことを見つけるどころか、次はもう大学の話。

「…もう大学?」

入学したと思ったら、もうその話。

それでも周りは当たり前のように、その流れに乗っている。

私も「…そういうもんか」と思って、ただ同じように過ごしていた。

バイトをしてみたいと思っても、校則で禁止。

特にやりたいことがあるわけでもないのに、
大学に行くための勉強をする毎日。

それから、

…なんとなく、

少しずつ…、

学校に行くのが億劫になっていった。

嫌なことがあるわけでもないし、
行けば普通に友達とも話す。

でも、朝になると体が重かった。

 

「…めんどくさいな」

そう思いながら、
ベッドの中で時間だけが過ぎていく。

「…今日、行った方がいいよなぁ」  

そう思っても、
そのまま起き上がれない日もあった。

…気づけば、
遅刻する日が増えて、休む日も増えていった。

それでも、
次の日は何事もなかったかのように学校へ行く。

そんなふうに、自分でもよくわからないまま、毎日を過ごしていた。

ある日、母が言った。

「富士山の近くにカフェがあるんだけど、行ってみない?」

「…え?なんで富士山?」

いつもなら、人が多そうな場所は断っていた。

それなのに、
あまりにぶっ飛んだ母の提案に…

私はなぜか「…行く」と、答えていた。

当日、車で3時間。

久しぶりの遠出だった。

母に「カフェ」と聞かされていたはずの場所は、想像していたものと違っていた。

店内は、ほぼ満席。

コーヒーを飲みながら静かに過ごす人なんて、一人もいない。

隣の席どころか、テーブルをこえて会話が飛び交っていた。

「え、ここ…カフェ?」

年齢も、職業もバラバラなのに、
みんな自然に話して、笑っている。

(…なんだ、ここ)

「驚くよね?知り合いがまた知り合いを連れてきてさ」

声をかけられて、思わず頷く。

「気づいたら、みんな知り合いになってるんだよね」

誰かがそう言って、笑った。

席に座ってからも、いろんな人が話しかけてくる。

「あ…こんにちは」

そんな挨拶を返すので、精一杯の私。

「高校生!?若いっていい!」

「遠かったでしょ?よく来たねー!」

そんな言葉が、次々に飛んでくる。

少しずつ肩の力が抜けて…、
私はいつのまにか笑っていた。

…ふと、また誰かが目の前に座った。

「いらっしゃいませ」

(…いらっしゃいませ?)

ジャージ姿の、優しそうな人。

また驚いて固まっていると、
「この人ね、このカフェの代表なんだよ」
そう耳打ちされた。

…だ、代表!?

「見えないよね〜」

周りがそう言って、笑っている。

「今日はどうしたの?」

不意にそう聞かれて、少し言葉に詰まる。   

「学校に行きたくなくて…」

気づけば、そう口にしていた。

言った瞬間、また体に力が入る。

きっと、言われる。

「学校は行った方がいい」

そう続くはずだった…。 

でも、その人は——

少し驚いたような顔で、言った。

「何で行くの?」

一瞬、何を聞かれたのかわからなかった。

「え?」

「行かなくてもいいじゃん」

その言葉に、心臓がドキッとした。

でも同時に、

(この人、何言ってんだ?)
とも思った。

「…行かなくていい?…学校、ですよ?」

思わず聞き返す。

その人は少し笑って、
「その学校でやりたいことがあるなら、行ったらいいと思うよ」

(やりたいこと…?)

「でもさ、そうじゃないなら、学ぶ場所は学校だけじゃないと思うよ」

その言葉は、すぐには理解できなかった。

「色んな人がいるし、世の中、色々だよ」

確かに…語学留学で海外に行ったとき、
「色んな人がいる…世界は広いな…」って、ぼんやり感じていた。

気づけば、

「私はどうしたい?」

そんなふうに、少しずつ考えるようになっていた。

それまで見えていなかった選択肢に、少しだけ、目を向けるようになった。

すぐに、何かが変わったわけじゃない。

でも、

流れに乗るんじゃなくて、

自分で考えて、
自分で選ぶようになっていった。

たった一言の、サラッとした会話だった。

大袈裟に聞こえるかもしれないけど、

「何で行くの?」

その言葉が、私の人生を変えた。

はじめまして、黄色の世界

Yokko
“残された時間は…あと7日…”

——どうしよう、どうしよう、もう時間がない…!!

それは8年前の3月の出来事。

だんだんと春が近づいてきて、外の空気が気持ち良くなってきた頃。

家の中にひきこもって、カレンダーを見つめながら焦っている私がいた。

…あと、7日…

私には、あと7日で絶対に決断せねばならないことがあった。
私の人生最大級のカウントダウンの始まりである。

——間に合わない…。

迫り来るタイムリミットに、冷や汗が止まらない。

私があと7日で決断しなければならないもの…

何があっても、1秒たりとも遅れてはならない使命。

それは…

『娘の名付け』

——え、すでに産後1週間経ってる!?

——どうしよう、まだ決まってない!!!

そう、娘の名前が決まらないのである…。

出生届けは、産後14日以内に出さないといけない。

私に残された時間は、あと7日。

——子どもの名前を決められないなんて、そんな親いるかな…

よく、「顔を見たら決まる」なんて言葉を耳にする。
当時の私は、その言葉を信じていた。

文字の通り、目の前の娘の顔を見る。

…産まれたてのふにゃふにゃの天使だ。

可愛い。
可愛すぎる。
愛おしい。
癒される。

たくさんの感情が湧いてくるが…

——いや、名前だけは湧いてこないぞー!?

考えれば考えるほど、どれも合う気がするし、どれも違う気がする。

完全に名付け迷子になっていた。

机の上には、山積みの名付けの本。
いつの間にか付箋でぐちゃぐちゃ。

「この名前は…画数がだめ?」
「この名前は…苗字と合わない?」
「じゃあ、この名前は…え、近所の子と一緒?」

目の前の天使に授乳をしながら、私の脳みそはフル回転の日々だった。

——長女の時はどうやって決めたっけ!?

…そう。
実は、私にとって名付けは初めてではない。
四年前に長女で経験している。

——なんで今回は、こんなに苦戦するんだろう…。

思い返せば、長女の時は、穏やかな妊婦生活を送っていた。
お腹を優しくさすりながら、名前の本を開く日々。
あれこれたくさん考える余裕があった。

だが…今回は…

「ママー!ママー!」

絶え間ないママコールに、バタバタの毎日。
加えて妊娠経過がよろしくなく、入院もしていた。

そして気がついたら…

「産まれちゃったじゃんーーー!!」

ムンクの叫び、のような顔をしている自分がいた。

——いやいや、そんな言い訳をしている場合じゃない

とにかく早く名前をつけてあげないと。

親からの最初のプレゼントだ。
妥協はできない。

夫もあれこれ考えてくれてはいたが、正直どれもなんか違う。

カレンダーを睨みつける私。
睨んだところで、名前は決まらないのに。

焦りだけが募ってゆく。

——名前も決めてあげられないなんて
——何てひどい母親なんだ

次女への申し訳なさから、だんだんと気持ちも落ち込んでくる。

タイムリミットまで…あと…

——5日…

本当にもう、時間がない。

——この名前可愛いし、もうこれに決めてしまおうかな…。

腕の中でお昼寝中の次女の顔を見ながら、そう決心しようとした。

薄暗い、静かな部屋の中。
私は体力的にも精神的にも、疲れ果てていたのだ。

と、その時だった。

「ママー!!こっち来てー!!」

玄関の外で遊んでいた、長女の声。

——やっと次女が寝たのに、動くの面倒だな…

正直行きたくはない。

「ママー!これ見てー!!」
「早く早くー!!」

あまりにも呼ばれるので、私はしぶしぶ玄関へ向かった。

そこには、息を切らしてやって来た長女の姿。
ニコニコ笑顔で嬉しそう。

「見てこれ、かわいいでしょ!」

そう言って、長女は手に持っていたものを見せてくれた。

——お花…?

長女の手には、お花があった。

「どうしたの、これ…?」
私がそう聞くと、

「そこに咲いてたよ!」
弾けるような満面の笑みで、長女は答えた。

長女が指をさした先は、家の目の前の堤防。
そういえば、あそこには毎年何かのお花が咲いていたような。

お花にあまり関心のない私は、視界に入っていなかったが…。

長女は、手にしていたお花を次女に見せながら、こう言った。

「菜の花っていうんだって!はい、妹ちゃんにプレゼント♡」

その瞬間、私の目の前に突然光が差し込んだ。

視界が、パァッと開いて明るく感じたのだ。

そして、長女の持っている菜の花が、キラキラと輝いて見えた。

——菜の花…

——これだ…

「菜の花、妹ちゃんに似合うね!」

嬉しそうに長女が言う。
そして、摘んできた菜の花を次女の横に並べた。

——うん。似合う。ピッタリだ。

目の前には、小さな天使と菜の花。

——菜っちゃん。

…うん。
…これだ…。

この子は、菜っちゃんだ。

菜の花の菜っちゃん。

急に名前が降って来て、次女に宿った気がした。

「なっちゃん」

長女と私の呼びかけに、次女はかすかに笑みを浮かべた。

…タイムリミットまで、あと4日

出生届を出し、ようやく名付けの戦いに終止符を打ったのである。

それ以来、我が家にとって菜の花は、特別な花になった。

毎年春になると現れる、小さくて大切なお花。
家の前には、明るい黄色の世界が広がる。

それは次女を産むまで、私には見えていなかった世界だ。

間違いなくあの瞬間から、私の人生には彩りが増えた。

名付けのトンネルを抜けた先に、まさかこんな世界が待っていたなんてね。

今年もまた、家の前には菜の花が咲いた。

「ママみてー!菜っちゃんのお花だよー!」

ルンルンしながらママを呼ぶのは、菜の花のように明るく天真爛漫に育った菜っちゃんだ。

その横には、来年中学生になる長女。
菜の花を見ながら嬉しそうにしている姿は、昔と変わらない。

自分が名付け親だなんてことは、忘れているだろうけど。

「はじめまして、菜っちゃん」

2人を見ていると思い出す、あの日の長女の優しい言葉。

——ママに、黄色の世界を教えてくれてありがとう。

沖縄なまりの彼女

Miera
——ぎろっ!私に話しかけんなよ?

私の得意技、『話しかけんなオーラ』を出すこと。

緊張しいで顔がすぐ赤くなる私は、初対面の人と話すことが苦手だった。
おまけに人に対する好き嫌いが激しい。
相手の話し方や声のトーン、それだけで瞬時に「あ…この人無理」と思ってしまう。

他人をシャットアウトしたい時、この技はとても便利だった。

けれど、そんな私も23歳、いい大人だ。
いつまでも、

「人見知りで、初めての人と話せません」

なんて言っていたら、社会では通用しない。
変わらないと…とは思いつつも、変われない自分が嫌いだった。

環境を変えれば何か変わるかもしれない——。
そんな希望を抱いて、私は専門学校に入学した。

そこで、『しょうちゃん』という人物と同じクラスになった。
私と一歳しか変わらない、普通の学生だ。
それなのに、未熟者の私には眩しくて近寄りがたい存在だった。

彼女は、クラス中の誰に対しても分け隔てなく接する。
どんな人にも目をかけて、優しく親しみやすい沖縄なまりで話しかけている。

「サーターアンダギーっていうんだけど、美味しいからたべてみてぇ〜」

そう言って彼女は、まぁるくて茶色いドーナツのようなものをみんなに渡していた。
関西人の私には、沖縄のおやつと彼女の話し方がやけに刺さった。

——故郷の美味しいお菓子をみんなにも知って食べてほしい。

彼女の純粋な思いがひしひしと伝わってくる。
押し付けがましくなく、恩着せがましくもない。
本当に渡して回るだけで、「あれ美味しかった?」なんてことは一度も聞いてこない。

お菓子をくれるだけではない。
みんなの輪に入れていないような人にも、片っ端から声をかけている。

——えっ、あんな怖そうな人にまで!?あっ、あんな暗そうな人にも…。

私からはそんな印象だったクラスメイトにも、なんてことない様子で話している。
私は、入学してから『しょうちゃん』から目が離せなかった。

——しょうちゃんと仲良くなりたい…。

彼女はもう、私の『推し』になっていた。

しかし、私は人見知りの根暗。
あんな、みんなの太陽のような人に自分から近づくなんて…自殺行為だ!
悶々とした日々を過ごしていた時、

「かずは、京都観光一緒に行かない?」

なんと、しょうちゃんが私を誘ってくれた!
しかも京都で観光なんて、1日がかりではないか?

——えぇ!?ふ…ふたりで!?

一瞬ドギマギしたが、落ち着いて聞くとクラスのほとんどの女子が参加予定だそう。
少し残念に思ったが、これはお近づきのチャンスっ!

京都観光当日——。
京都は私の地元ということもあり、みんなから案内を期待されていた。
しかし、人見知りな私は、上手くみんなを誘導できなかった。

「えぇっと、こっちかな?あれ?どうやっけ?」

私がしどろもどろになっていると、しょうちゃんがこう言った。

「なんとかなるさぁ~。こっち行ってみよ~!で、みんなはさぁ~…」

責めることはもちろんせず、私から注意をそらそうとみんなに話題をふってくれる。
これが本人は無意識だというのだから、頭が下がる。

気遣い、優しさ、誰とでも仲良くなる力…すべてにおいて抜きんでている。
それなのに、やりすぎてないから嫌味がない。

私は、こんな人を見たことがなかった。
まるで、天然記念人に遭遇したような…未知の衝撃——。

京都観光のおかげで、しょうちゃんとお近づきになれた私はルンルンだった。

しかし、彼女は人気者。
私から遊びに誘ったりなんてことは…おこがましい!

そこで私はこんな作戦を立てた。
名付けて……

『しょうちゃん気に入られ大作戦!』

私は、日々の勉強を頑張ったり、苦手な接客のバイトにも挑戦してみたりした。
いつの間にか、彼女の存在が私の原動力になっていた。

私の作戦に効果があったかはわからないが、しょうちゃんからお声がかかるようになった。

「かずはぁ~!今日うち来るでしょ~?」

そう——私は、彼女の家に上がれるほど仲良くなれていたのだ。
冷静を装って、

「えー?うん」

などと返事しているが、内心はウハウハ♪
他のしょうちゃんファンより、一歩も二歩もリードしているのだから。

しかし、ひとまず気に入られたのはいいが、ここからが勝負だ。
嫌われたら終わりなのだ。

私の短所…。
『根暗』はひとまず置いておこう、人見知りが治ればカバーできる部分だ。
やはりネックは、『人見知り』。

しょうちゃんは、京都観光ツアーのように、どんどん人脈を広げてイベントを計画する。
そんな彼女についていくには、コミュニケーション力は必須に思えた。

——めんどくさい奴って思われて、捨てられるなんて絶対嫌や!

しょうちゃんの友達と打ち解けられないと、彼女を困らせることになる。
それに、何より私はしょうちゃんのようになりたかったのだ。
私は憧れるがあまり、彼女のことを自然と真似るようになっていた。
それは、半ば無意識だった。

彼女以外の人と接するとき、しょうちゃんっぽく振舞ってみたり。
人に話しかけるのが苦手だった私だが、
しょうちゃんをイメージすると初対面の人でもすんなり話しかけられたり。

——しょうちゃんやったらこう返すかなー?

友人へのメールの返信も、一度しょうちゃんを自分に降ろしてみて考えるようになった。
もちろん、彼女の完コピなんて到底無理だ。

でも——。

しょうちゃんの友達と初めて会った時も、気さくに話すことが出来た。
まだ話したことのないクラスメイトに、自分から話しかけることが出来た。

緊張はする…。
だけど、初めての人と話すことが嫌じゃなくなっていた。

ふと気が付くと、私の得意技、『話しかけんなオーラ』を使うことは無くなっていた。

——こんな技、もういらんわぁ!

ただただ、しょうちゃんを好きになり気に入られようと努力したことで、
知らないうちにコンプレックスを克服していたのだ!

『私+しょうちゃん=新たな私』爆誕!

彼女に出会わなければ、40歳になった今でも、

「人見知りやから…」

と、コンプレックスを抱いたままだったかもしれない。

もしもあの時、変われていなければ、今の私はいない——。

出会ってから18年が経ったが、彼女とは今でも連絡を取り合う仲。
当時の話をしょうちゃんにすると、

「えぇー?かずはの記憶の中の私、美化し過ぎでしょ!!!」
「そんな良いもんじゃなかったよ、私!!」

と、言って笑う。
全く自覚がないのだ。

——も~!そういうところも大好き!
——良いものでしかなかったのよ…私にとっては。

今では、しょうちゃんの家族ごと私の『推し』だ。

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